◆広島のシンボルであり続けるために 

 そうして広島の人々に支えられながら球団経営も軌道に乗ってきた昭和31年、ナイター球場がつくられることになったのです。私はその前年に引退したため、選手としてその場に立ち会うことはできませんでしたが、旧広島市民球場ができたときの広島の人々の喜びというのは筆舌に尽くしがたいものでした。カープと広島の復興とは一緒のものでしたから、これでようやく復興したという感慨が湧き起こったのだろうと思います。

 昭和50年に初優勝した時の広島の盛り上がりも本当にすごいものでした。優勝の可能性が高まると同時にだんだんと街が賑やかになり、赤一色になっていきましたからね。優勝が決まった夜は、街全体がお祭り騒ぎでね。

 やはりみなさんとつくり上げた球団なので、広島の人々には「我がチーム」だという誇りがあったのでしょう。そしてその思いは、現在にも受け継がれているものだと思います。

 新たにマツダスタジアムができましたが、これも広島のみなさんの協力なくしては実現できませんでした。時代は移り変わりますが、カープが広島の人たちに救われて成り立っているというのは不変的なものです。ですから、カープの選手たちはその恩を忘れてはなりません。

 カープが広島の人々にどれだけ支えられてきたかを伝えることで、これからもその伝統は受け継がれていくと思います。そうすることで、末永くカープは広島に根付いた球団であり続けることができると思っています。それが、私のできる恩返しなのです。