◆守護神からのアドバイスで磨きをかけたストレートが武器に
一軍昇格から一週間後の7月15日、私は横浜スタジアムでの大洋(現横浜)戦で先発し、プロ初勝利を挙げた。 この1982年は4勝5敗、1983年は1年間先発ローテーションに定着し、15勝10敗、防御率2.92をマーク、プロ3年でついに年俸は1000万円を超えた。
しかしまだ24歳になったばかりで、どこか心にスキができたのかも知れない。翌年の春季キャンプで、私は新しい球種を覚えようとフォークボール習得に挑んだのだが、これが裏目に出た。
フォークを多投するあまりストレートの投げ込みが不足して、6月まで全く勝てなかった。前年の15勝が1年目なら、私も2年目のジンクスにはまった事になる。そして私は2年ぶりに二軍に戻ることになった。 二軍に落ちる直前、私は偶然にも、かつてのカープの守護神・江夏豊さんからこう言われた。
「お前がこれからプロで生きていくためには、外角のストレートを磨け。そうしてピッチングの幅を広げる事だ」
そして二軍行きを命じられた時も、監督から改めて同じ事を言われた。私は一軍に復帰するまでの約1ヵ月間、外角のストレートを磨く事に集中して、二軍でみっちり練習した。
そして一軍に復帰した時には、大好きな夏が訪れようとしていた。
チームは中日との激しい優勝争いを繰り広げていたが、私は後半戦だけで8勝をマークして、一年中というわけではなかったが優勝決定の輪の中に加わる事ができた。私自身、初めての優勝だった。
日本シリーズは阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)と対決した。カープにとっては初優勝を達成した9年前に1勝もできずに敗れた相手である。私は西宮球場での第3戦に登板して勝利投手となり、王手をかけて臨んだ地元広島での第6戦に先発した。
しかし1回表、いきなり先頭の福本豊さんの頭にぶつけてしまった。ヘルメットは粉々に砕け散り、福本さんは担架で運ばれて退場。福本さんにぶつけた事で動揺したのか、福原峰夫さんにバックスクリーンに見事に運ばれる満塁ホームランを打たれてKO。胴上げ投手のチャンスを逃してしまった。
(第5回へ続く)
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