◆11年連続で2桁得点を記録

—10月にはリーグ戦、ナビスコ杯を合わせて5得点をマークされました。量産体制に入った時期ですが、コンディションが上がってきた部分も関係しているのでしょうか?

「コンディションはずっと普通の状態でした。僕は常に同じ状態でしたし、自分の中の考えを変え、ストレスを感じなくなったことが良い結果に繋がったのだと思います。あとは自分だけではなく、この時期に(髙萩)洋次郎が調子を上げてきていて、トレーニングでも自分のイメージとリンクするようなパスがたくさん出てきて、またサッカーの楽しさを感じさせてくれました。周囲のパスを出す判断がより明確になってきたと感じました。自分と同じプレーが共有できてきたことで一つひとつのプレーに思い切りが出ていたことも良かった点だと思います」

—10月26日の清水戦では11年連続2桁得点を記録されました。

「正直ホッとしましたね。7点獲っていた夏場の時期は出場機会が限られていて、『もしかしたら記録が止まるかもしれない』という気持ちは持っていました。仕方ないという思いはありましたし、それは受け入れなきゃいけない部分だと思っていました。そういう話を家で妻と話をしたときに、『すごい記録だから諦めたらダメだよ』と言われたんです。まず家族がそれを期待してくれていて、チームメートも記録を気にかけてくれていました。そういう周囲の支えもあって、すぐにでも決めないといけないなという思いになりました。あの時期3試合連続で得点を決めることができたのも、家族、チームのみんな、そしてサポーターのみなさんの気持ちがそうさせてくれたのだと思います」

—記録を継続していくことのプレッシャーもあったのではないでしょうか?

「途切れてしまう可能性が高かったのは2014年と、肩のケガをした2010年だったと思います。ただ得点は自分の力だけでは獲れないですし、チームメートの力があって積み重ねてきているものです。2014年に達成できたことで2015年は12年連続二桁得点という記録にトライすることができますし、自分自身が唯一向き合えることで、他の人は向き合えないことです。たとえばイチロー選手が200本安打を続けていた頃、みんな今年もどうかなと期待して見ていたと思うんです。でもご本人には相当なプレッシャーがあったのだと思いますし、続けば続くほど『いつ途切れてしまうんだろう』というプレッシャーとの戦いにもなると思うんです。僕は二桁得点は最低ラインにしたいので、もっと上を目指してやっていきたいなと思っています」

—ナビスコ杯は惜しくも準優勝でしたが、通算最多得点をマークされました。

「自分が得点を獲らなくても優勝したかったですね。最多得点はありましたが、一番欲しかった優勝を逃したので本当に悔しかったです。この悔しさをいかに次へのエネルギーに変えていけるかが今後チームとしての課題になってくると思います。個人的なことを言えばナビスコ杯は若いときに決めた得点、中堅になって決めた得点、今ベテランとなって決めた得点といろんな立場で得点を重ねてきましたし、プロ初得点がナビスコ杯の得点なので自分としては印象に残る大会です。通算得点で一番上にいけたというのは、引退された中山さん(雅史・元磐田、札幌)を超えることができたのはすごくうれしかったですね」

(広島アスリートマガジン2015年2月号掲載・表記、所属等は当時のまま)