2020年シーズンを持って現役引退を決断した佐藤寿人(ジェフユナイテッド千葉)。J1歴代2位のゴール数を記録した“ストライカー”は、かつてサンフレッチェ広島に12シーズン在籍した。ここでは、『広島アスリートマガジン』誌上に掲載された数々のインタビューから厳選し、佐藤寿人のサッカー人生を本人の言葉と共に振り返っていく。

 長年サンフレッチェのエースとして君臨し続けてきた佐藤寿人にとって、2014年はこれまでにない苦しさを味わうシーズンとなった。しかし、試合に出られない時期を乗り越え、11年連続となる二桁得点、そしてナビスコ杯では歴代通算最多得点を記録。チームはリーグ8位に低迷し3連覇を逃したが、変わらぬゴールへの嗅覚を見せつけた。ユニホームの胸に3つ目の星をつけるべく臨んだ2015年シーズン直前。当時の心境を赤裸々に語った、佐藤の本誌ラストインタビューをお届けする。

2004年から2015年まで、12年連続で二桁得点をマークした佐藤寿人選手。

◆3連覇は連覇以上に難しいことなんだなと感じました

—3連覇を目指した2014年は、結果的に8位という順位で終わりました。昨季を振り返ってみてどんな思いがありますか?

「周囲の人たちの期待もすごくあったシーズンだったと思いますし、自分たちも3連覇を目標にしてシーズンに臨みました。前半戦はACLも上を目指す中で、両方の戦いである程度メンバーを入れ替えてやってきて、ACLは2013年以上の成績を挙げることができました。リーグ中断明けでも優勝が狙える位置にいたんですが、優勝争いに踏みとどまることができず、少しずつ脱落していきました。そこは力が足りなかったと思います」

—どの部分に力が足りなかったと感じられましたか?

「自分たちはリーグを連覇していましたが、ぶっちぎりで優勝した訳ではなくギリギリのところで勝ち取った優勝でした。そういう意味でも他のクラブにも優勝のチャンスがある中で、難しい時期にケガ人が出てしまったということもありますし、なかなか安定した結果が出せなかった。そこが全てだと思います」

—2009年から続いていた賞金圏内の順位に入ることができませんでした。

「2009年にJ1に戻ってきてからは安定して賞金圏内に居続けることができていたので、そこに入れなかったという意味でも、悔しさだけが残るシーズンだったと思います」

—やはり3連覇という壁は、連覇以上に難しいものだったのですね。

「監督以下、チームのみんながそれぞれ3連覇に対する想いは強かったと思います。それと同時に連覇したときのメンバーが固定されたまま、新たな選手が加わってくれるということがなく、残念ながら優勝しても主力選手が抜けてしまうということがありました。なかなか上積みが簡単ではなかった印象はあります。もちろん選手個々の能力で言えば、出ていった選手、加わった選手の差はないと思います。しかしコンビネーションを築く時間がすぐにとはいかないですし、そこを埋めていく難しさはありました。しかし、それを踏まえた上で結果を出さなければならなかったと思います。連覇をすれば翌シーズン3連覇を目指すというのは、もっとハードルが上がりますし、そこに対して選手もクラブも対応できなかったなという印象です。そういう意味では3連覇は連覇以上に難しいことなんだなと感じました。だからこそ鹿島しかやり遂げてないのだと思います」