2003年3月の創刊号以来『広島アスリートマガジン』では、カープの選手やOBなどさまざまなインタビューを収録してきた。この企画では、これまでの誌面を振り返り、印象的な言葉をピックアップ。今回は、平成カープを支えたエースたちが紡いできた言葉を紹介する。

20004年、2年連続で開幕投手を任された黒田博樹投手。チームが低迷するなか、気迫の投球で投手陣を引っ張った。

◆日米通算200勝を記録し、最後まで先発にこだわった黒田博樹

【黒田博樹(1997-2016年)】
『自分の身をこのチームに捧げるられる』というマインドを持っている人がエース(広島アスリートマガジン 2018年1月号)

 2001~2007年までの間に6度の2桁勝利をマークし、2005年には最多勝を獲得するなど、低迷期のカープを支えた黒田博樹。2007年オフには大リーグに移籍し、メジャー7年間で通算79勝をマークした。そして2014年オフ、カープに電撃復帰。2016年には25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、日米通算200勝をマークするなど、チームの精神的支柱として活躍した。

 常に所属チームの先発ローテーション投手として投げ続けてきた黒田はエースについてこう語る。

「チームによってエースというのは当然いて、それぞれチームによってエース像は変わってくると思います。ですが、僕自身ずっと思っていたのが、『自分の身をこのチームに捧げられる』というマインドを持っている人がエースだと思います。当然たくさん勝つことも大事ですが、僕はそういうマインドのピッチャーでありたいと思いましたし、そういうピッチャーを目指していました」

 現役時代、メジャー時代も含めて6人の監督の元でプレーしてきた黒田にとって、エースとしての心構えを根付かせてくれた忘れられない指揮官がいる。それは2001年から2005年に監督を務めた山本浩二だ。

「僕は浩二さんに育てたれたというか、やはり信頼されて使ってもらえたというのが僕にとっては大きかったと思います。浩二さんとの5年間は、投手として一番成長できた期間だったと思っています。起用されれば長い回を投げる、完投する、それが『エースの条件』というような、今とは少し違うかもしれないですが、そうやって起用していただく中で、そういう意識をしっかり持てたというか、それが大きかったと思います。僕自身気づかないうちに育てられたのかもしれませんね」

 20年間にわたる現役生活を投げ抜いてきた右腕は、通算505試合に先発登板。NPB通算2021と2/3回。MLB通算1319回を投げ抜き、毎年ほぼ規定投球回数を達成。3340イニングを投げ抜き、チームに貢献し続けてきた。

「勝つピッチャーは素晴らしいと思いますが、勝つためには、それだけの準備とそれだけの回数をこなさないと、先発ピッチャーは勝ち星を手にできません。それだけにイニング数と先発登板数というのは、誇れる数字だと思っています」

 最後までマウンドを守り抜くのがエースの仕事。その信念を心に携え、黒田は、現役を引退するまで、先発にこだわり、最後まで役割をまっとうした。