即戦力の期待をかけられて、2001年のドラフト会議でカープから4巡目指名された石原慶幸。長年カープの投手陣を支え続けた西山秀二に代わり、プロ2年目ながら116試合に出場した。無我夢中で戦っていた若手時代を『広島アスリートマガジン』2003年6月号で語った言葉と共に振り返る。

東北福祉大から即戦力として入団した石原選手。2年目から飛躍的に出場数を増やした。

◆自分がプロに入れるとは思ってもいませんでした

─ 今年は2年目のシーズンでした。石原選手が入団した2002年のドラフトで、広島は石原選手と山本翔選手(東筑高)の捕手を2人指名しました。特に石原選手は即戦力との評価を受けての入団です。期待の大きさは感じていましたか?

「そうですね。もちろん、期待に応えたいと思って入団したんですけど、そんな簡単にはいかなくて、1年目は全然ダメでした……」

─1年目は主にファームで活躍。一軍での出場機会は終盤の5試合にとどまりました。やはり、プロの壁は厚かったですか?

「いや、特に……。なんて言ったらいいですかね、球のスピードやキレはもちろん違うんですけど、想像を超える世界ではなかったです。でも、初打席はガチガチで、自分でもはっきりと覚えていないくらい……それほど緊張してました」

─ 高校3年の夏、県立岐阜商高で甲子園に出場。その時からプロのスカウトが注目していたと聞きます。プロはいつ頃から意識されていたのですか?

「本当にもう、まさか自分が入れるとは思ってもいませんでした。プロを意識し始めたのは、ほんとドラフト直前になってからです」

─ それは意外でした。卒業後は東北福祉大に進学。大学日本代表に選ばれ、五輪代表候補に名を連ねていたほどです。野球エリートのような人生を想像していたのですが。

「いえ、そういうのは全然なかったです。東北福祉大に進学したのも、東京六大学や東都など関東のリーグに行けるだけの力がなかったからです」

─2つ上に現在横浜で活躍している吉見祐治投手がいらっしゃいます。もちろん金本知憲選手(阪神)や佐々木主浩投手(マリナーズ)など、プロで活躍された選手が東北福祉大からたくさん誕生しました。プロを身近に意識できる環境にいたと思うのですが。

「入りたいとは思ってやってました。ただ4年生になってそういう話が来るまでは、本気で意識してなかったです」

─ 性格が謙虚、もしくは自己分析が厳しいのでは?

「そういうんじゃないんですよ。ほんと、全ての点でプロでやっていけるか不安でしたし……」