2001年ドラフト4巡目でカープに入団し、捕手として活躍した石原慶幸氏。25年ぶりの優勝、球団初のリーグ3連覇。記憶に新しい節目の瞬間には、正捕手・石原慶幸の姿があった。カープ一筋19年のプロ野球人生。悔しさも歓喜も知り尽くした名捕手の野球人生を、石原氏の言葉で振り返っていく。

2001年ドラフト4巡目でカープに入団した石原慶幸選手。

 高校卒業後は、社会人チームに入ることも考えたのですが、複数の大学から声をかけていただき、東北福祉大(宮城県仙台市)にお世話になることになりました。親元を離れる心配はありませんでしたが、大学野球で自分が通用するのかという不安はありました。

 入部して感じたのは、東北福祉大の充実した練習設備です。室内練習場もウエートトレーニング場も整備されていたので、恵まれた環境で野球をやらせていただきました。大学1年の頃は、上級生の練習の手伝いがほとんどでしたが、2年から徐々に試合に出させてもらえるようになりました。

 横浜やロッテで活躍された吉見祐治さんをはじめ、上級生にプロ注目の投手が数多くいて、その方たちとバッテリーを組ませてもらったことでキャッチャーとしての引き出しをつくることができましたし、故・伊藤義博監督からキャッチャーの配球について「石橋を叩いて渡れ」と何度も言われたことも印象深いです。

 投手が打たれて負けた場合はキャッチャーの責任ということを教えてくださったのも伊藤監督でした。反論したい時もありましたが、よくよく考えると、プロで即戦力で通用すると評価されている投手が打たれて負けたらキャッチャーのせいになるのは当然です。

 大学3年では当時中央大の4年だった阿部慎之助(現巨人二軍監督)さんと一緒に日本代表でプレーさせてもらい、大学選手権では準優勝。4年生ではキャプテンをやらせていただき、チームをまとめる大変さ、コミュニケーションの難しさを経験させてもらいました。選手権で全国制覇できなかった悔しさはありましたが、野球人としても人としても成長させてもらった4年間でした。