◆パームボールの習得が転機に

■【1985年新人王 川端順】「パームボールの習得でプロ2年目に大ブレイク」
<1985年>45試合/11勝7敗7セーブ/完投6/完封2/162.1回/防御率2.72
<1986年>32試合/3勝3敗2セーブ/完投0/完封0/71回/防御率2.41

 法政大から東芝に進み都市対抗野球大会優勝の原動力となった川端は、1983年にカープからドラフト1位指名を受け入団。ルーキーイヤーは15試合(先発2試合)の登板でわずか1勝1Sにとどまったものの、1985年に二軍でパームボールを習得したことをきっかけにブレイクを果たした。

 この年は先発、中継ぎ、抑えとフル回転し、45試合の登板で11勝7セーブ、防御率2.72の好成績をマーク。広沢克巳(ヤクルト)、木戸克彦(阪神)などのライバルを抑え、新人王のタイトルを獲得した。翌年もセットアッパーとして存在感を見せ、カープ投手王国の一角を形成した。