今季初登板で森下暢仁が、またも阪神キラーぶりを発揮した。6回1安打無失点と“2年目のジンクス”など感じさせぬ好投で、昨年から続く阪神戦の連勝を4に上積み。はたしてカープの歴代新人王は翌年のシーズンをどのような成績で乗り切ったのだろうか。主要データと共に、彼らの2シーズン目を振り返る。

赤ヘルの若大将のニックネームで人気を博した小早川毅彦氏。

■【1982年新人王 津田恒実】「唸る速球を武器に球団史上初の新人王を獲得」
<1982年>31試合/11勝6敗/完投8/完封2/166.2回/防御率3.88
<1983年>19試合/9勝3敗/完投9/完封0/132回/防御率3.07

 古葉竹識監督は期待のドラ1を先発ローテーションに固定。その期待に応えるように、津田も火を吹くような速球で打者を手玉にとっていった。結果、ルーキーイヤーから31試合に登板し、8つの完投を含む11勝をマーク。チームは5年ぶりにBクラスに沈んだものの、津田自身は球団初の新人王に輝いた。

 ただ2年目の後半戦以降から、中指の血行障害やルーズショルダーなどの故障に悩まされ始め、クローザーとして1986年に復活を果たすまでは成績が下降傾向に。それでも2年目は、9勝の全てを完投で飾っている。

■【1984年新人王 小早川毅彦】「初年度から3番に定着。球団野手初の新人王に」
<1984年>112試合/375打数/105安打/本塁打16/59打点/盗塁8/打率.280
<1985年>98試合/269打数/78安打/本塁打14/45打点/盗塁4/打率.290

 投手と野手では比較にはならないが、球団野手では初となる新人王を獲得した小早川についても軽く触れておきたい。

 ドラフト2位指名を受けカープに入団した小早川は、1年目から期待に違わぬ活躍を見せた。春先から好調をキープし、勝負強い打撃でチームを牽引。一時、状態を崩したもののシーズンの大半で主軸の3番を任され、4年ぶり4度目のリーグ優勝、3度目の日本一の原動力となった。

 ただ2年目は故障もあり出場数が減少。ルーキーイヤーほどのインパクトを残すことはできなかった。