◆安仁屋からミスター赤ヘルへ

 安仁屋が1989年から『80』に変更し、新たに『88』を背負ったのが、この年から監督に就任した山本浩二だ。現役時代の『8』にちなむ番号ということで、安仁屋から譲り受けることになった。1991年にリーグ優勝を果たしたが、1993年は19年ぶりの最下位となり、同年限りで監督を辞任した。

 2001年に再び監督に就任すると、背番号も現役時代に慣れ親しんだ『8』に復活。だが当時は1998年から始まった低迷期の真っ只中で、第二次監督時代は万年Bクラスに沈み、2005年限りで辞任した。その後は北京五輪野球代表の守備・走塁コーチや、日本代表監督も務めている。

 1年のブランクを置いて山本浩二の後を継いだのは、初の現役選手となる朝山東洋。1994年のドラフト会議で3位指名された朝山が、1995年の1年限りながら外野手として背番号『88』を背負っている。

 現役引退後は主にカープの二軍で打撃コーチを務め、打撃不審に陥った選手を一軍に送り込む手腕から“朝山再生工場”などとも称されている。監督やコーチのイメージが強い『88』を現役時代に背負い、引退後に名伯楽として名を馳せているのが面白い。

 その後は勝負強い打撃で一時代を築いた西田真二、小早川毅彦がコーチ時代に背負うも、ブランクの年も多く、一人に定着することはあまりなかった。これも、大きめの番号の特徴でもある。