背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

就任直後にコロナ禍に見舞われるなど、難しい舵取りを任されている佐々岡真司監督。好成績を残し、1年でも長く『88』を背負いたい。

 大きめの背番号は監督、コーチのものとして定着している場合が多い。今回取り上げる『88』もまさにその典型で、これまでに背負ったのは監督が2人、二軍監督が1人、コーチが4人、野手は1人だけ。ただし、監督&コーチ陣にはビッグネームが並ぶのが特徴だ。

 背番号『88』の歴史が始まったのは、球団創設から33年目の1982年。“初代”はカープ ファンにはお馴染みの安仁屋宗八だ。沖縄から初のプロ野球選手になった安仁屋はカープから阪神に移籍後、1980年に復帰。2年ほどプレーした後に1981年限りで現役を引退し、投手コーチに就任。その際に背番号『88』をつけている。

 指導者時代の安仁屋の役職と背番号の関係は、やや複雑なので一覧にまとめてみよう。

1982~1983年/『88』(二軍投手コーチ)
1984~1988年/『88』(一軍投手コーチ)
1989~1992年/『80』(一軍投手コーチ)
1993年/『80』(二軍投手コーチ)
1994~1995年/『80』(二軍監督)
1996~1997年/『88』(二軍監督)
2005年/『88』(一軍投手コーチ)

『88』時代は一軍投手コーチ、二軍投手コーチ、二軍監督を務めている安仁屋。1980年代のカープ黄金期に指導者の立場チームを支え、現在はプロ野球解説者として活躍している。

 シーズン前の優勝予想では必ずカープを1位に予想し、投手陣の勝ち星予想も超ポジティブなため各投手の勝ち星の合計が100勝を超えることも、しばしば。ファンの間では“安仁屋算”の名で親しまれている。