◆思い出に残る、伝説の『3ラン』

― カープでの2年間の最高の思い出は何ですか?

「それは、やっぱり1975年10月15日の初優勝ですよ。それと、チャンピオンになった後の広島の街も最高でした。優勝パレードがすごかった。40万人の観衆だったように記憶しています。どれだけ広島の街がハッピーだったかは、想像以上のものがありました。人や街の幸せを見て、こちらも興奮しました。自分がその幸せの一部分にでも貢献できたかと思うと、とてもうれしかったです」

― 野球は、街や人を変えられると?

「野球が街を変えられるかは分かりません。アメリカでは、そういう状況を目にしたことがありませんから。ただカープは長く優勝できなかった歴史がありました。私は、テレビか何かの映像で、『カープが優勝したから、もう死んでもいい』なんていうカープファンを見たことがあります(笑)。アメリカで『ホワイトソックスが優勝したら死んでもいい』なんて言うファンには、なかなかお目にかかりませんでしたからね。やはり広島は、原爆投下という悲劇もありましたし東京、大阪という規模の大きな都市でもありません。そういったところもあったと思いますね」

― 1975年10月15日の後楽園球場、巨人戦での優勝を決定づけたホームランは格別だったのではないですか?

「私はプロとして14年間野球をやってきましたが、その中であれ以上のホームランはなかったです。ホームランで勝利が100%決まるわけではありませんが、あの日だけは違いました。(3ランホームランが出たときに)我々は勝ったと確信しましたね。あの試合はなかなか緊迫した展開で、ものすごい緊張感でした。私の自宅には、今でも、あの場面の写真がたくさん飾ってあります。それを見ながら毎日『俺は素晴らしかったんだ』とつぶやいていますよ(笑)」(続く)

■ゲイル・ホプキンス
1943年2月19日生、アメリカ出身。
ペパーダイン大-ホワイトソックス-ロイヤルズ-ドジャース-広島(1975-1976年)-南海(1977年)。1975年に33本塁打、91打点をマークするなど初優勝に大きく貢献。1977年に移籍した南海を最後に現役引退。日本での3年間で360試合に出場し、打率.282、69本塁打、229打点を記録した。