◆赤いハンカチ王子が球団記録を達成

 2005年には、小林幹英が現役ラストイヤーを『21』とともに過ごした。小林は背番号『29』時代にストッパーとして名を馳せたが、故障が多くコンスタントな活動は叶わなかった。

 その後、この番号で唯一の助っ人外国人であるダグラスを経て、2008年には齊藤悠葵が『60』から変更。カープファンにとっては、『さいとうゆうき』といえば日本ハムの斎藤佑樹ではなく、この齊藤悠葵を思い浮かべる人も多いはずだ。

 入団初年の2006年に一軍昇格を果たし、球団初の高卒ルーキーによる初登板、初先発、初勝利を達成。端正なルックスと名前から“赤いハンカチ王子”の異名を取った。2年目は未勝利に終わったが、4年目は自身初の開幕一軍入り。シーズン通して先発ローテーションを守り抜いた。

 しかし、その後は思うような成績を残せず、2013年に背番号を『36』に変更した後、2014年シーズン限りで現役を引退。余談だが2010年には赤松真人と天谷宗一郎が、ホームラン性の当たりをスーパーキャッチ。そのいずれもが齊藤の投球時だった。

 齊藤の後を継いだのは、2007年の大学生・社会人ドラフトでカープから1巡目指名を受け入団した篠田純平。入団時はかつて外木場義郎、津田恒実、澤﨑俊和らが背負った背番号『14』を継承したが、キャリアハイが6勝と殻を破るまでには至らず、2013年オフに背番号をドラフト1位右腕の大瀬良大地に譲り、自らは背番号『21』に。しかし、その後も思うような成績を残せず、2015年限りで現役を引退した。