『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

昨年末、現役引退を発表した佐藤寿人が、キャリアのベストパートナーとして青山敏弘を選出。

 1993年5月16日、サンフレッチェ広島のJリーグ開幕戦となったジェフユナイテッド市原戦で、開始1分に背番号8のMF風間八宏が先制点を決めたことは連載第1回でも書いた。この試合に先発出場し、背番号6をつけて風間とともに中盤でプレーしたのが、MFダニエルだ。

 アメリカ国籍で、サンフレッチェの前身のマツダSC時代に来日。Jリーグの歴代外国籍選手はブラジルと韓国が飛び抜けて多く、アメリカの選手はダニエルのほかに、ガイナーレ鳥取に在籍したMFオスカーなど数人しかいない。プレーしたのは1年間だけで、正直なところ、プレーの特徴などは忘れてしまったが、記念すべき開幕戦のメンバーとして歴史に名を刻んでいる。

 風間の先制点で始まった開幕戦、サンフレッチェは67分に追い付かれたが、82分にMF小島光顕が左足で鮮やかなミドルシュートを決め、2-1で勝利。Jリーグ初勝利の立役者となった小島は、この試合では交代出場のため12番をつけていたが、固定背番号制となった1997年から2年間、6番をつけてプレーした。

 基本技術の高さを生かした堅実なプレーが持ち味で、本職のボランチだけでなく、DFなど複数のポジションで頼りになる存在だった。移籍して別のクラブでプレーした後、2002年限りで現役を引退。現在は『株式会社KOJIMA SPORTS』の代表取締役として、神奈川県相模原市を拠点にフットサルコートやサッカースクール、中学生年代と小学生年代のチームを運営している。