◆W杯準優勝メンバーがサンフレッチェに加入

2003年にJ2のサンフレッチェに加入。1年でのJ1昇格に貢献したセザール・サンパイオ。

 6番はその後、2002年にMFトゥーリオがつけた。のちの『田中マルクス闘莉王』で、カタカナで書くと分からないかもしれない。当時はプロ2年目、まだブラジル国籍だった。

 この年サンフレッチェはJ2に降格し、トゥーリオは翌2003年、水戸ホーリーホックに期限付き移籍。この年の10月に日本国籍を取得し、2004年に浦和レッズに完全移籍してからは、クラブと日本代表で歴史に残る活躍を見せた。

 トゥーリオが期限付き移籍したのは、外国籍選手の枠を空けて、別の選手を獲得するためだった。代わりに2003年にサンフレッチェに加入して6番をつけたのは、MFサンパイオ。

 1995年に横浜フリューゲルス(1998年限りで吸収される形で横浜マリノスと合併)に加入し、ボランチとしてボール奪取から攻撃の組み立てまで、マルチな働きを見せた。ブラジル代表でも活躍し、日本代表が初出場した1998年フランス・ワールドカップ(W杯)ではレギュラーとして準優勝メンバーとなっている。

 サンフレッチェではボランチだけでなく、3バックの中央でもプレーして、1年でのJ1復帰に貢献した。長年にわたる生活で日本語が上達し、サンフレッチェ時代は通訳こそいたが、筆者の日本語の質問を聞いただけで、内容を理解して話し始めるほど。2017年にゲストとしてエディオンスタジアム広島を訪れたとき、日本語で話しかけると、満面の笑みを浮かべながら日本語で返してくれた。