カープの歴史を語る上で欠かせないのが、頻繁に繰り返された選手の移動劇だ。ときにはトレードで活性化を見せることもあったが、その一方でフリーエージェントはチームに暗い影を落とした。ここではチームの浮沈を左右した、主だった移籍劇を振り返る。

FA権を取得した2006年には行使しなかったものの、翌2007年に行使した黒田博樹氏。球団初のメジャー移籍選手となった。

◆リーグ初優勝の原動力にもなった移籍劇

【トレード】
 カープの移籍史を語る上で欠かせないものが、トレードである。初優勝したチームの基盤をつくったのは、選手の入れ替えによる活性化だった。1960年代後半、根本陸夫監督による強打者・山内一弘の獲得や外部コーチの招聘で礎を築くと、1975年には球界初の外国人監督ジョー・ルーツも大きく選手を入れ替えた。

 日本ハムから獲得した大下剛史がリードオフマンとして打線を牽引。阪急からは宮本幸信と渡辺弘基、児玉好弘を獲得。宮本は10勝10セーブ、渡辺は左の中継ぎとしてカープ ブルペンを支えた。

 1977年のオフに金銭トレードで獲得した江夏豊は、在籍期間は3年も中身の濃い働きをみせた。1979年には球界初のリリーフ投手でシーズンMVPに輝き、同年の日本シリーズでの“江夏の21球”は今もファンの間で語り草となっている。

 1984年に西武から出戻りした小林誠二が抑えとして活躍し、1987年に南海から移籍した西山秀二はのちに正捕手の座に就いた。また1991年に中日から獲得した音重鎮はV6に貢献。1995年に日本ハムから獲得した木村拓也はユーティリティープレーヤーとして存在感を発揮した。