スポーツジャーナリストの二宮清純が、ホットなスポーツの話題やプロ野球レジェンドの歴史などを絡め、独特の切り口で今のカープを伝えていく「二宮清純の追球カープ」。広島アスリートマガジンアプリ内にて公開していたコラムをWEBサイト上でも公開スタート!

 エイドリアン・ギャレットに続いてリッチー・シェインブラム(登録名シェーン)も亡くなった。ともに78歳だった。

 生年月日はギャレットが1943年1月3日生まれ、シェーンが1942年11月5日生まれ。日本なら同級生だ。

 シェーンについては、以前、小欄でも取り上げたことがあるが、1975年9月14日、巨人戦での欠場がなければ、私たちは彼がユダヤ教徒であることも、ヨム・キプルと呼ばれる「贖罪の日」があることも知らなかった。

「古葉竹識監督はシェーンに対し出場するよう説得にあたったのですが、シェーンは何やら宗教を理由に出場を拒んだようです」。広島から瀬戸内海を渡って届くRCCラジオの実況に耳を傾けながら、「シェーン、何やってんだ!?」と叫んだ日のことは今でも覚えている。ユダヤ教といっても、当時の私にはキリスト教のルーツで、教徒は黒っぽい帽子を頭に乗せている人(男性のみで、帽子の名前はキッパー)くらいのイメージしかなかった。シェーンのお陰で、いろいろ勉強させてもらった。

 75年の初優勝に貢献し、76年には3割7厘と好打率を残したシェーンだが、外野守備の拙さを理由に、2年限りで球団を追われた。同じく初優勝に貢献したゲイル・ホプキンスもそうだが、古葉監督は守備に難のある外国人を嫌った。

 しかし、とも思う。もしシェーンが、入れ替わりでカープにやってきたジム・ライトルのような強打に加え強肩好守の外野手だったら、守備要員兼代走である深沢修一に出番はなく、稀代のバイプレーヤーが誕生することもなかったと言える。

 ライトルはまだ元気か? ホプキンスは達者か? カープの初優勝や初の日本一に貢献した“助っ人”たちの健康状態が気になる今日この頃である。

(広島アスリートアプリにて2021年5月31日掲載)

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二宮清純(にのみや せいじゅん)
1960年、愛媛県生まれ。明治大学大学院博士前期課程修了。株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。広島大学特別招聘教授。ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク 統括マネージャー。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。『広島カープ 最強のベストナイン』(光文社新書)などプロ野球に関する著書多数。ウェブマガジン「SPORTS COMMUNICATIONS」も主宰する。