山口県都濃郡南陽町(現・周南市)和田で誕生した津田恒実氏。野球人生をスタートした周南市は、津田氏にとって原点と言える場所だ。

 地元では、高校時代に津田氏が完全試合を達成した球場を『津田恒実メモリアルスタジアム』(周南市野球場) と命名し、和田市民センターでは津田氏の生家に所蔵されていたユニホームなど貴重な45点が、記念展示として多くのファンを出迎えている。

 ここでは、炎のストッパーの功績を残し続ける地域の取り組みについて、地元和田地区を盛り上げる『和田の里づくり推進協議会』の会長を務める佐藤貴志さんに話を聞いた。

津田恒実メモリアルスタジアムの内部。津田氏の現役時代の写真が並ぶ

「地元のヒーローを語り継いでいきたい」

 私たち『和田の里づくり推進協議会』は、和田地区の地域活性化を目的に活動しております。お祭りや地域の困りごとを解決するお助け隊、地域食堂、現在はモルックというスポーツの世界大会など、幅広くさまざまなことを仕掛けています。

 今回、津田恒実さんの記念品を寄贈していただき、和田市民センターに展示することとなりました。我々地元住民もなかなか目に触れる機会がなかったものを見ることができ、さまざまな方々に興味を持っていただいております。現在は、市内や市外からもこの記念品を見に来られる方もおり、まさに『パワースポット』になっているのだと思います。

 私の津田さんとの思い出は幼少期の頃です。津田さんがオフに地元に帰って来られていて、友人から「津田が自主トレで走りよるぞ!」と聞くと、みんなで自転車に乗って追いかけ、ノートの裏にサインをしてもらいました。野球を教えてもらったこともあり、本当に貴重な経験をさせていただきました。

 32歳という若さでこの世を去り、2012年に野球殿堂入りされました。没後もみなさんの記憶に残り、心を揺さぶられているからこそ語り継がれ、慕う人たちがたくさんいるのだと思います。郷土の誇りであり、もし生きておられたらいまの和田をどう見てくれたかなと思ったりします。

 これまでも津田さんの命日前後で取り組みを行なっていたのですが、コロナや少子化の影響もあり中断せざるを得ず、地域の力が落ち込んだ現実がありました。ですが、「語り継いでいきたい」という思いで、市民センターの展示をきっかけに、津田さんを偲ぶ会を実施しています。

 2024年から再スタートし、大人も子どもも集まり、ソフトボール大会やお墓参りを行いました。いまの子どもたちにとって野球選手と言えば大谷翔平選手ですが、『僕たちの地元には津田恒実というスーパーヒーローがいたんだよ』と伝えていきたいです。

 私たちにとって津田さんは、昔もいまも変わらず、ヒーローであり、マウンドに駆け上がっていく姿、強打者に立ち向かっていく姿を思い出すと『よし、まだまだ頑張ろう!』と勇気をくれる存在です。

 今回45点の記念品を寄贈していただき、津田さんの命日前後に入れ替えをしながら展示します。地域の団結を深め、津田さんを知らない世代にも伝える取り組みを続けていきたいと思っています。

■佐藤貴志さん
1976年生まれ
幼少期に津田恒実氏から野球を教わった経験がある。現在は地元和田地区を盛り上げる『和田の里づくり推進協議会』の会長を務め、地域活性化のために、さまざまな取り組みを実施している。