◆陸上人生を大きく左右する転機 

 修道高時代にインターハイ、世界ユース選手権など実績を残し、慶応大に進学した。しかし1年間は「自分の走り探しでモヤモヤしていた」と悩んでいた。自ら走り方を変えるなど、技術だけを追い求めレベルアップを試みたがタイムは伸び悩んだ。

 だが今年3月、山縣の陸上人生を大きく左右する転機が訪れる。陸連コーチや、空手道場の師範代など、合宿や大学内で練習とは別の場所でいろいろな人に出会う機会があった。「自分以外の世界観、自分との考えの違いを聞いていて、モノの見方が変わり視野が広くなった」。他からの意見を素直に受け入れるようになり、山縣の心に少しずつ変化が生まれた。そして、そこから走りにも劇的な変化が生まれた。陸連コーチから、ストライドが広かった走りを若干狭くすることをアドバイスされ“スタート後にもう一度ギアアップし加速する走法”のコツを掴んだ。

「どんどんタイムが伸び、ワクワクした。早くレースに臨みたい気持ちになった」。そんな中迎えた織田記念陸上。「地元の後押しも感じ、走り易かった」。生まれ育った広島で最高のパフォーマンスを見せ、瞬く間に陸上界の第一線に躍り出た。

 五輪代表最有力候補となって迎えた五輪代表選考も兼ねた日本陸上選手権は故障明けと万全ではない体調で臨んだ。

「頼もしい先輩であり、自分の成長の指標」というライバル・江里口匡司らとの決勝は10秒34で3位に甘んじた。悔しい結果に終わったものの「本番までに万全の体調で臨めなかったのが自分の弱さ。これが今の実力」と現実を素直に受け止めた。

 五輪代表入りは確実視されていたが「前夜は寝付けませんでした」と不安の中、代表決定の日を迎えた。翌日、目標であり夢であった五輪出場が決定。「嬉しさもあったけど、安心感も大きかった」。喜びは育ててくれた両親に一番に連絡した。

 五輪に向けての課題は「自分をコントロールすること」と言い切る。「日本選手権よりも成長した姿を見せたい」。心を整え、広島育ちのスプリンターが世界で勝負する。

<プロフィール>
山縣亮太(やまがた・りょうた)
1992年6月10日生。176cm、68kg。広島県広島市出身。修道高-慶応大。修道高時代には、2009年の世界ユース選手権大会の100mで4位入賞、メドレーリレーでは銅メダルを獲得した。2012年にロンドン五輪、2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場。好きな言葉は「我以外皆我師也」。2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪に出場。