東京五輪で金メダルを目指す侍ジャパンのメンバーに、カープから12球団最多となる4選手が選出された。この連載では、侍ジャパンの4番として期待がかかる鈴木誠也が、過去に本誌の独占インタビューで語った思いを取り上げ、プロ入りからここまでの軌跡を振り返る。

 2回目となる今回は、プロ1年目のシーズンオフに行ったインタビューから。14年ぶりの高卒野手での一軍昇格、初ヒット、初打点、初スタメンを記録した鈴木誠也だが、見据えていたのは、“1年目の成果”ではなく、もっと先の未来。プロ1年目のシーズンで感じた思いを鈴木の言葉をもとに紹介する。
(広島アスリートマガジン2020特別増刊号「鈴木誠也 全インタビュー集」に掲載)

高卒新人ながら、ルーキーイヤーから一軍の舞台を経験した鈴木誠也選手。

◆[プロ1年目の自分を振り返る]その先の未来へ(前編)

─ルーキーイヤーを振り返ってどんな1年でしたか?

「1年目から絶対に『一軍で試合に出る』という目標を立てていました。壁に2、3回ぶつかって『もういいかな』って考えになったこともあったんですけど、それをもう一度考え直して『目標があるんだ』、『ここで諦めちゃダメだ』って思ってやってきました。その結果、最後の舞台で1本だけですけど、ヒットも出ました。1年目で一軍に上がれたことは良い経験だったんですけど、いざ一軍に上がってみたらプロの厳しさを知って、悔しい部分も感じた1年でした。来季は良いと思えることが一つでも多くなるように練習をしていけば、結果は必ずついてくるかなと思っています」

─どんな壁にぶつかったのでしょうか?

「今まで勉強もほとんどせず、ただ野球にだけ打ち込んできたので、野球だけはしっかりやらないといけないという思いでやってきました。でも、プロに入ってみて自分が考えているよりもすごい世界だったというか、高校生のときはまだ未熟で『プロに入ってもどうせ打てるんだろうな』っていう気持ちでいたんです。それが3月にシーズン入って『早く一軍に上がらなきゃ』って焦ってもいたし、本物のプロ野球選手が本気を出して、二軍といえどもすごい選手たちが多かったので、それに対して自分はなめていたというか……。それで最初の壁にぶつかって。打てないし結果も出ないし、考えてはイライラしてという悪循環だったんです」

─どのようにその壁を乗り越えていったのでしょうか?

「『どうしたら乗り切れるんだろう?』ってとにかく考えました。そしたら、練習しかないんだろうなって。あとは慣れかなと。それから、イライラを抑えるようにして、我慢してそういう気持ちを出さないようにしました。打てないことについては、そうやって自分の中で考えながらやってきました。試合に出て、全部の打席でヒットが打てないと悔しいんですけど、10回中3回打てれば良いバッターっていうのを周りから聞いたりしていたので、プロはそれくらい難しい世界なんだなって思うように考えたら、少しは楽になりました」

─壁を乗り越えたことなども踏まえて、2013年に得たものは多かったと思います。

「やっぱり一軍と二軍では球場の雰囲気や応援が全然違うし、プレッシャーの中でプレーするということを1年目から味わえたり、ヒットを打てたり、前田(智徳)さんの引退試合とかクライマックス・シリーズ(以下CS)を決める試合とか普通は味わえない貴重な場面でスタメンで使って貰えたのは収穫でした」

─終盤戦にスタメンで起用されたのは、鈴木選手に対する期待値の高さを表していると思います。

「まだ完全なレギュラーではないし、監督も『思い切ってやれよ』っていう感じで使ってくれたので、プレッシャーというよりは思い切ってやろう、チームに勢いをつけられたらいいなと思って試合に出ました。でもそこで上手いこと結果も出なくて、また『どうして一軍では結果が出ないんだよ』って落ち込みました。結局、自分で勝手に打てなくしていただけだったんですけどね」

◆2013年から2020年に行った鈴木誠也のインタビューは、広島アスリートマガジン2020特別増刊号「鈴木誠也 全インタビュー集」で公開中。