つなぐことを意識することで、次第に鈴木は本来の打撃を取り戻していく。そして4番の復調と共にチームも上昇気流に乗った。3番、5番もそろって復調したことで、チームは5月に球団最多となる月間20勝をマーク。鈴木自身も球団最年少記録となる、24歳8カ月で通算100本塁打を達成した。

 もちろんクリーンアップの好不調と、チーム成績が比例したのはカープだけではない。カープのリーグ3連覇を阻止した巨人は、鈴木の目から見ても前年までにない強さを感じたという。

「(巨人は)すごく強かったですね。やっぱり前年までと打線のつながりが違いました。丸さんが加入して3番が固定されたことで周りもやりやすくなったと思いますし、僕はなんとなく気持ちが分かるなと。4番の(岡本)和真の気持ちだったりですね。『つながりがあって、嫌な打線だな』と思って戦っていました」

 シーズン中盤に入るころには、試合を重ねるごとに鈴木の打撃は安定感を増していった。ところが鬼門の交流戦に入ると、チーム全体のバランスは崩れ完全に失速。7月下旬、巨人に“逆メークドラマ”を意識させる快進撃は見せたものの、交流戦の大失速が響き最終的にはBクラスに沈むこととなってしまった。

「巨人と7ゲーム差くらいになったときには『もう無理だな』と正直思って……。逆に僕たちは3連覇中には独走していて、他のチームの選手たちはここ3年間ずっとそういう思いでやっていたんだと思いました。僕たちはずっと違う感覚で野球をやっていたので、やっぱり4位とか5位という位置で野球をやっているモチベーションというのは、難しい部分があったのかなと思います」

 とはいえ、シーズン通じて大きな収穫もあった。バットが湿ったときは四球での出塁を視野に入れ、塁に出ればチーム最多の25盗塁を記録した。そして最終的に残した数字は打率.335、出塁率.453。チーム成績は低迷したが、個人としては自身初の打撃タイトルとなる首位打者と最高出塁率の二冠に輝いた。

「シーズン中あまり数字を気にすることはないですけど、長打率と出塁率というのは意識していました。だからこそ僕としては首位打者よりも最高出塁率がうれしかったです。終わってみて1年間腐らず、諦めることもなく、1打席1打席しっかり打席に立てたので、それがついてきたのかなと。それは自分を褒めたいと思いますね」