また古葉さんからは、基本の大事さを教わりました。『プレー中は絶対に球から目を離すな』とよく言われたことが印象深いです。古葉野球はいろんな表現がありますが、緻密に相手のミスを突き、足を使った攻めを多用して巧みに得点を奪う、そして投手を中心とした守りの野球でした。私は若い頃から足を武器とする選手だったので、起用していただいたのだと思います。
攻めにおいて機動力を重視される采配でしたので、俊足の選手であれば、当時の私のように若手であっても『チャンスがあればフリーで盗塁を狙え』という方針。ですので、そういう状況で走らなければ、「何故走らんのだ!」と叱られることも、しばしばありました(苦笑)。
83年から私はレギュラーとして起用され、古葉監督が退任される85年まで連続試合出場を続けました。長いシーズン、必ず痛みを抱えてプレーする時期はあります。ですが、『レギュラーとは体調が万全でなくとも、試合に出続けること』というものを言葉ではなく、起用法から教えられました。
後に今も球団で活躍するトレーナーの福永(富雄)さんから聞いた話では、私が肉離れをしていた時、古葉さんは「山崎が万全でなくとも、70〜80%の力を出せるのであればチームのためになる」と仰っていたようです。当時、私はポジション確保に必死でしたので、後にそれを聞いた時、初めて古葉さんから信頼されていたんだと実感することができました。
古葉さんがいなければ私はスイッチに転向していませんし、選手生命も短く終わっていたでしょう。私の野球人生においての恩師です。古葉さんの座右の銘に『耐えて勝つ』とありますが、正にその通りで、髙橋慶彦さん、私にしても当時実績のない若手を起用するには相当の我慢が必要であったと思います。未だに古葉さんに会えば背筋が伸びますし、何年経っても関係性は変わりません。いわば、“昔ながらの厳格な親父と息子”のような関係性でしょうね。