背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2010年のオープン戦。右肩痛で離脱後、約10カ月ぶりに本拠地のマウンドに上がった梅津智弘投手。

 今回取り上げる背番号は「39」。この番号は1997年以降現在まで、投手しか着けていない。今回は1999年から今季まで、この番号でプレーした4人の投手を紹介しよう。

 ドラフト5位入団で1999年から「39」を背負ったのが小山田保裕。土浦日大高から城西大で活躍した小山田は、1998年のドラフト会議でカープから5位指名を受けた。ルーキーイヤーから中継ぎや抑えでコンスタントに登板を重ねると、2002年にはクローザーとして活躍し30セーブを記録。2004年、2005年は先発に転向。2007年限りで横浜に移籍した。

◆大学時代には完全試合を達成

 翌2005年から「39」はドラフト6巡目指名で入団の梅津智弘のものに。国学院大時代には、完全試合を達成したこともある梅津は、1年目から開幕一軍入り。33試合に登板し1勝1敗5ホールドという成績を残した。以降も中継ぎやセットアッパーとして登板を続け、2008年には64試合に登板し21ホールドを記録。

 2011年からは右打者のワンポイントリリーフとして起用されるようになったが、2012年以降は、負傷の影響もあり出場機会が減った。

 2014年シーズン終了後、戦力外通告を受けた梅津は、現役続行を望み、楽天と育成契約を結んだ。2015年の夏に支配下登録されたものの、1シーズンを過ごしたところで現役生活に幕を閉じた。

 梅津の後を受けて、2015年に「39」を背負ったのが飯田哲矢だ。九里亜蓮とともに亜細亜大でプレーし、JR東日本では都市対抗野球などでも活躍。2014年のドラフト会議では6位指名でカープに入団した。2018年まで4年間で40試合に登板したが、勝利を記録することができないまま、2019年シーズン終了後に現役を引退。現在はカープでスコアラーを務めている。

◆カープに移籍後、リリーフでチームを支える右腕

 2020年からは菊池保則が背番号「59」から変更して「39」を背負っている。菊池は常磐大高でエース兼四番として活躍し、楽天から4巡目指名を受けて入団。楽天での9年間で12勝を挙げ、2019年からカープに移籍。

 2019年は中継ぎ、セットアッパーとしてキャリア最高となる58試合に登板、1勝15ホールドを挙げた。「39」を背負った昨季は44試合に登板し1勝1セーブ4ホールド。今季は7月14日時点で17試合に登板、防御率1.53とまずまずの成績を残している。

 ここまで梅津の10年が最長記録となる背番号「39」の歴史。これから先、誰がどんな足跡を刻むのか期待したい。

【背番号『39』を背負った主なカープ選手】
小山田保裕(投手/1999年-2004年)
梅津智弘(投手/2005年-2014年)
飯田哲矢(投手/2015年-2019年)
菊池保則(投手/2020年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。