7月23日に開幕を迎える東京五輪。悲願の金メダルを目指して挑む侍ジャパンのメンバーに、カープから12球団最多となる4選手が選出された。この連載では、侍ジャパンの4番として期待がかかる鈴木誠也が、過去に本誌の独占インタビューで語った思いを取り上げ、プロ入りからここまでの軌跡を振り返る。

 10回目となる今回は、大ブレイクを果たした2016年を振り返っていく。打率.335、29本塁打、95打点。堂々の成績でベストナイン、ゴールデン・グラブ賞を受賞した4年目の鈴木誠也が、当時抱いていた思いとは。
(広島アスリートマガジン2020特別増刊号「鈴木誠也 全インタビュー集」に掲載)

2016年、レギュラーに定着し、25年ぶりの優勝に大きく貢献した鈴木誠也選手。

◆[大ブレイクを果たした2016年を振り返る]日本一の打者へ!

─鈴木選手にとって昨季はどんなシーズンでしたか?

 「一言で言うと良い経験ができたシーズンでした。結果自体はあまり意識していなくて、ずっと試合に出続けられたことが僕にとって意味がありました。1年間一軍で出場するということを勉強させてもらったのはすごく良かったです」

─シーズンでは打率・335、本塁打29本、95打点と素晴らしい数字を残されました。

 「シーズン中は結果を出さないと試合には出続けられないと思っていたので打率は意識していました。終わってみれば調子の波が少なくできていたと思うので、その点は良かったと思います。でも、クライマックス・シリーズ(以下CS)、日本シリーズとあまり良い結果が出なかったので、あれが今の僕の力なんだと感じました」

─ほぼフルシーズンで続けて試合に出続けましたが、長く感じましたか?

 「今思えば短かったと思います。でもシーズン中は長く感じましたし毎日試合後はキツかったです。最初の頃は試合後も打ち込みを続けていたのですが、ずっと試合に出ていると次の日のパフォーマンスに影響して良くないと思ったので、途中から数と時間を決めて練習をするようにしていました。でも自分の中で試合後の素振りは、1日の反省を見直す意味があったので、それは毎日続けていました」

─試合に出続けることで、精神的な部分でキツさは感じましたか?

 「シーズンが終わってから急にしんどさを感じましたね。プレッシャーから解き放たれたというか、やっと終わったんだという達成感がありました。シーズンが終わった後は少し野球から離れたいなと思いました。でも昨季を振り返れば、もうちょっとできたんじゃないかと思うことがありました。外野手は代わりの選手がたくさんいますし、試合に出るためにはまず打たなければいけません。シーズン中は自分のことで精一杯でした。自分の結果ばかり追い求めてやったシーズンでしたね」

─体のケアをするにあたって変化させたこと、取り入れたことはありますか?

 「15年までは週に3~4回のウエートをがっつり入れていましたが、昨季はウエートを週2にして、しっかり休むことを前提としたトレーニングをするようになりました。内容も重いトレーニングばかりを入れるわけではなく、トレーナーさんと相談しながら進めて、春先は比較的重いトレーニングを入れて、夏場は自体重だけでのトレーニングをやりました。その甲斐もあって途中離脱もありませんでしたし、体重も6キロ増やすことができたので体調管理はうまくいったと思います」

◆2013年から2020年に行った鈴木誠也のインタビューは、広島アスリートマガジン2020特別増刊号「鈴木誠也 全インタビュー集」で公開中。