『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2020年シーズンからサンフレッチェ広島のキャプテンを務める佐々木翔選手。

 日本の男子サッカーの五輪出場は、現在開催中の東京五輪で7大会連続11回目。連続出場が始まった1996年アトランタ五輪は、日本サッカー史の大きな転換点の一つだ。銅メダルを獲得した1968年メキシコシティー五輪以降、ワールドカップ(W杯)も含めて世界大会に出場できず、長い低迷期を過ごしたものの、アトランタ五輪の2年後にはW杯初出場を果たし、いまや両大会とも常連国となっている。

 五輪における男子サッカーは1992年バルセロナ五輪以降、23歳以下の年齢制限が設けられており(東京五輪は1年延期の特例措置で24歳以下。年齢制限を超える選手も3人まで参加可能)、前述のアトランタ五輪ではサンフレッチェ広島の若手3人がメンバー入り。GK下田崇、MF路木龍次と並んで名を連ねたのが、当時22歳だったDF上村健一だ。 

 福山市の松永高から1993年にサンフレッチェに加入。1年目から多くの試合に出場し、マンマークとヘディングの強さを生かして活躍した。アトランタ五輪で日本はグループステージ敗退となったものの、上村はハンガリーとの第3戦で、CKからヘディングでゴールを決めている。

 1997年に始まった固定背番号制では19番をつけた。左膝前十字靭帯断裂などの負傷を克服し、2001年には日本代表に初選出。日韓W杯を控えていた2002年に今度は右膝の前十字靭帯を断裂し、W杯出場こそならなかったものの、翌2003年には初めてJ2に降格したサンフレッチェの守備を支え、1年でのJ1復帰に貢献している。出生地は熊本県だが、地元の高校からサンフレッチェでプロとなり、在籍11年間で公式戦300試合以上に出場した、クラブ史に残る名選手だ。