◆『DF』と『FW』のコンバートを繰り返した、異色の経歴の持ち主

 2004年途中から19番を受け継いだのが、盛田剛平。このコラムでは選手名の前に『DF』『FW』などポジションを入れているが、この人は、どれを書くべきか難しい。 

 駒澤大で頭角を現したときはFW。189センチの長身を生かしたヘッドはもちろん、利き足の左足から繰り出すシュートも力強く、ポストプレーも巧みな大型ストライカーとして注目されていた。多くのJクラブが争奪戦を繰り広げた末に、浦和レッズへの加入が決定。当時インタビューした筆者に「駒場スタジアム(当時の浦和レッズの本拠地)に盛田コールを響かせたい」と目を輝かせながら語っていた。

 ところが、1999年のプロ入り直後からレギュラーとして出場したものの、なかなか結果を出せなかった。期限付き移籍したセレッソ大阪と川崎フロンターレでもFWとしては結果を残せず、2002年に完全移籍した大宮アルディージャではMFでもプレーしている。

 2004年途中にサンフレッチェに期限付き移籍したときは、FWとしての加入だった。このとき背番号19をつけたことが、その後の運命を決めたのかもしれない。完全移籍した05年にFWのポジション争いで後れを取り、出場機会が大きく減った盛田は、同年末にDFへのコンバートを志願する。

 これが大成功だった。06年からは体格を生かした力強い守備で新境地を開拓し、頼れるDFに変身して印象的な活躍を見せた。2012年にヴァンフォーレ甲府に完全移籍し、2014年以降はFW不足のチーム事情から再びFWでプレー。Jリーグの公式HPでもポジションはFWになっているが、広島では背番号19=DFの歴史に名を刻んでいる