広島県の高校球児としてプレーをしたプロ野球選手、OBが高校当時を振り返る本企画。今回は、県立広島工業高校出身の新井貴浩氏(元広島東洋カープ)に当時の思い出を語ってもらった。

 広島県高校野球界で“県工”の愛称で知られる同校は、春のセンバツ5回、夏の甲子園5回出場を誇る。新井氏自身は甲子園出場こそ叶わなかったが、2年秋からの新チームではキャプテンを務めるなど、中心選手として高校野球生活を過ごしていた。

 “新井氏が語る高校時代の思い出”の最終回は、「高校球児への思い」を中心にお送りする。

高校時代を県立広島工業高校で過ごした新井氏。

◆確実に高校野球のレベルは自分の時代よりも上がっている

 ここ数年の高校野球を見ていると、僕がプレーしていた時代よりもはるかにレベルが高いと感じます。今はネット社会でいろいろな情報をすぐに得ることができます。トレーニング方法も多様化していますし、プロテインなどを摂取するタイミング、食べるものや食べ方なども僕らの時代とまったく違いますよね。

 その証拠にまず体格が違いますし、投手が投げる球速がまったく違います。僕らの時代は140キロを投げる選手が数えるほどでしたが、今は全国的に見ても150キロを超える投手が増えてきています。そこが一番レベルの違いを感じるところですね。投手のレベルが上がっていくと、それに負けまいと野手のレベルも上がってきて、総合的にレベルが上がってきますからね。

 広島県もそうですが、全国的に高校野球の人口が減ってきているそうですね。僕らの時代と違ってスポーツも選択肢が増えてきていますし、テニスやサッカー、バスケ、ゴルフにしても海外で活躍する日本人が増えています。そういう選手に憧れる子どもも多いでしょうね。あとは少子化の影響もあると思いますし、野球の競技人口が減ってくるのは仕方ない部分があるのかなと思います。とはいえ、高校野球が盛り上がってほしいという気持ちは常にあります。

 現在世の中はコロナ禍ですが、高校野球界も大きく影響を受けていますよね。特に昨年の高校球児のことを思うと心が痛いです。やはり甲子園を目標に3年間頑張っている中で特に3年生はそうですよね。今年は各地方大会、甲子園が開催できたのは非常に良かったと思います。ですが、やはり満員の甲子園の中でやってほしかったなという思いもあります。

 高校野球は野球をやったことがない人でもファンは多いです。やはり見るものを感動させる要素があるからでしょうね。3年間という限られた期間の中で一生懸命プレーをして、汗水涙を流し球児が頑張る姿は、輝いて見えます。そういうプレー、気持ち的なものが見る人に伝わりますし、感情移入できますからね。

 最後に高校野球を頑張っている球児のみなさんに対して伝えたいことがあります。野球ができるのは親御さんのみなさんがいるからなんです。“常に大好きな野球をやらせてもらってありがとうございます!”という感謝の気持ちを持って、1日1日を大切にしてほしいです。