広島県の高校球児としてプレーをしたプロ野球選手、OBが高校当時を振り返る本企画。今回は広陵出身の上本崇司選手(カープ)が語る後編をお送りする。

 母校である広陵は、現在山口県で行われている高校野球中国大会で12回目の優勝を果たし、春のセンバツ甲子園出場を確実なものとした。

 上本選手は高校時代、1年秋からレギュラーとなり甲子園には3度出場。3年夏には先頭打者本塁打を放つなど、俊足巧打の内野手として活躍した。後編では、甲子園での思い出と高校球児への思いを語ってくれた。

広陵時代、2年夏の甲子園では準優勝を果たした上本選手。

◆高校時代は「青春って感じ」

 僕は1年秋の新チームから試合で使ってもらって、たくさんの経験をさせていただいたのですが、忘れられないのが2年夏の甲子園での、佐賀北との決勝戦ですね。

 1学年上の野村祐輔さん(カープ)と小林誠司さん(巨人)がバッテリーで、8回まで4対0でリードしていました。僕はショートを守っていたのですが、正直、勝って優勝できるかなと思っていましたが……8回裏にあの逆転満塁弾ですよね。

 高校野球ファンのみなさんの間でも有名なシーンですけど、本当に1球で流れが全部相手に行ってしまって。“これぞ、野球”というものを体感したような気がします。

 当時僕は2年生で、もちろん負けてしまった悔しさはありましたが、3年生の先輩方は最後の夏ですから、それこそ僕らとはまったく違う悔しさだったと思います。ベンチに入れない先輩方も泣いていましたからね。

 僕のこれまでの野球人生を振り返ってみても、あの試合の“あのシーン”というのはナンバーワンのインパクトです。

 高校3年間、中井哲之監督にご指導いただきましたが、本当に感謝しかありません。僕は人間的に高校時代に変わることがきました。当たり前の事ですが、物を大事に使うことだとか、礼儀、そして感謝の気持ちを忘れないことを学びました。

 野球の技術はもちろんですが、野球以外の大切なことを教えていただきました。人生は野球だけじゃないぞと。

 中井監督に出会っていなければ、ろくでなしの人間になっていたかもしれないと思うくらいです。本当に僕にとっての恩師です。 

 3年間本当に濃い時間を過ごさせてもらいましたが、やはり苦しい事を一緒に乗り切った同級生は今でも仲が良いですし、一番の仲間です。考えてみれば、高校野球は約2年半という短い期間ですが、寮生活、練習も厳しさはありましたが、純粋に楽しかったです。本当に青春って感じでしたね。

 ここ2年間、高校野球もコロナ禍の影響がありますよね。先ほども言いましたが高校野球って青春ですし、高校球児のみんなはそれぞれ目指すものがあるわけですからね。それを考えると何とも言えないものはあります。

 あまり軽々しく頑張ってとは言えないですが、人生はまだまだこれからですし、これを良い意味で糧にして、本当に負けずに、日々の高校野球生活を過ごしてほしいです。