歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。2005年にサンフレッチェ広島に移籍し、3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。生粋のストライカーの広島での12年間を佐藤寿人氏の言葉で振り返っていく。
【第10回】挑戦者として臨んだ2013年シーズン
(9回目から続く)
2012年にJ1リーグで優勝し、念願の初タイトルを獲得することができました。とはいえ2013年も、自分たちがディフェンディングチャンピオンという意識はなかったです。
高いレベルの勝点で優勝争いをしたわけではなかったので、もう一度、挑戦者として臨まなければいけないという気持ちは僕だけでなく、みんなが持っていたと思います。
リーグ戦では開幕から3試合ノーゴール。前年のリーグ優勝と得点王という結果を受けて、より相手に研究されていると感じました。僕だけでなく、配球役のチバちゃん(千葉和彦)やトシ(青山敏弘)へのマークが、かなり厳しくなっていました。
打開するための工夫もしましたが、やはり難しかった。縦のパスコースを切られることが多く、攻撃のスイッチが入りづらくなっていました。
ただ、もともとリーグ開幕前から、チャンスの数は増えないだろうと思っていました。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)も並行して戦うため、選手を入れ替えながらの戦いが予想されていたからです。
そうなると、僕としては、ワンチャンスで得点して試合の流れを引き寄せたり、勝負どころでゴールをこじ開けなければいけない。最終的には17得点でしたが、簡単なシーズンではありませんでした。
3位で迎えた第32節で、セレッソ大阪に敗れ、首位の横浜F・マリノスとの勝点差が5に広がりました。勝点1差の2位にも浦和レッズがいる。さすがに優勝は無理だと思い、とにかく残り2試合に勝ち、良い形でシーズンを締めくくることを意識しました。
次節のホーム最終戦で勝って2位に浮上しF・マリノスが負けて勝点差は2に縮まりましたが、それでも届かないだろうと思っていました。(続く)
●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。通算のJ1得点数は歴代2位を誇る日本を代表するストライカー。引退後は指導者・解説者として活動している。