歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。2005年にサンフレッチェ広島に移籍し、3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。生粋のストライカーの広島での12年間を佐藤寿人氏の言葉で振り返っていく。

2013年、リーグ制覇を達成し笑顔の佐藤寿人(右)と森保監督。

【第12回】信頼し合っているからこそぶつかり合える関係

11回目から続く)
 2014年のリーグ戦は前半戦を終えて首位と勝点9差の5位。ここから巻き返そうという第18節、アウェイでの鹿島戦でした。

 0-1とリードされたハーフタイム、ポイチさんが僕に交代を告げたのです。まだ1点差で、しかも前半は、前線までほとんどボールが来なかった。なぜ交代しなければいけないのかとポイチさんに悪態をつき、握手も拒否してしまいました。

 試合は1-5で敗戦。翌週、ポイチさんに呼び出され、あの態度は受け入れられないということで、1週間の謹慎となり、別メニューで練習するように言われ、続く2試合はベンチからも外れました。

 チームにとってはマイナスの行為だったと思います。僕自身、ギラギラしていたんですね。ポイチさんとは信頼し合っているからこそぶつかり合える関係で、謹慎を告げられたときも「あのギラギラした思いがあれば、まだまだ成長できるよ」と言ってもらいました。

 結局リーグ戦は8位。ルヴァンカップは決勝でガンバ大阪と対戦し、僕の2得点で2-0とリードしましたが、その後に3失点して2-3の逆転負けでした。右肩上がりに成長を続けることの難しさを感じたシーズンでもあります。

 2015年は、開幕前から競争が激しかったです。僕もチバちゃんも控え組だった時期があり、1トップには、新加入のドグ(ドウグラス)や(浅野)拓磨が入るなど、チームとして試行錯誤が続きました。

 僕自身もFWとして、(髙萩)洋次郎と(石原)直樹が移籍したため、開幕当初は連係で崩すことが難しいと思い、一発のパスから得点しなければいけないと考えていました。

 それが形になったのが甲府との開幕戦。10分の先制点です。トシ(青山敏弘)からのロングパス1本で、相手の裏を取って蹴り込みました。あれは気持ち良かったです。

 シャドーに定着したドグとも、お互いの良さを引き出せていました。また、僕から拓磨への選手交代も相手の脅威だったと思います。

 2013年に加入した拓磨は、なかなかリーグで得点できなかったですが、誰もが「1点決めたら、どんどん決めるようになるよ」と話していました。その通り、4月に初得点を決めると覚醒し、最終的に8得点をあげました。  

 僕自身、正しい世代交代のサイクルに入っていく必要性を感じていました。当時33歳で、もちろんサッカーは年齢ではないにしても、いつまでもベテランが先発出場を続けるのは健全ではない。2014年に一時、僕に代わって先発したミナ(皆川佑介)への期待もあり、拓磨も含めてチームメイトの良い結果を望まないという考えはありませんでした。(続く)

●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。通算のJ1得点数は歴代2位を誇る日本を代表するストライカー。引退後は指導者・解説者として活動している。