歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。2005年にサンフレッチェ広島に移籍し、3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。生粋のストライカーの広島での12年間を佐藤寿人氏の言葉で振り返っていく。

2ステージ制で行われた2015年。セカンドステージを制覇し年間勝ち点1位を記録したサンフレッチェは、ガンバ大阪とのチャンピオンシップを勝ち抜き、3度目のJ1リーグ制覇を成し遂げた。この年、チームとして、リーグ最多得点・最小失点を記録するなど、1年を通して王者に相応しい戦いを披露。佐藤寿人も12得点をあげる活躍をみせた。

【第13回】チーム内の競争がもたらした2015年の3回目の優勝

12回目から続く)
 セカンドステージ優勝に突き進んでいた終盤、個人的な目標は、ゴンさん(中山雅史)のJ1通算157得点の記録に並び、追い抜くことでした。

 ただ156得点でリーチをかけてから7試合無得点。ゴンさんの呪縛ですね(笑)。実際プレッシャーはありました。それでもホームでの湘南との最終節で、ようやく決めることができました。

 トシ(青山敏弘)とチバちゃん(千葉和彦)が『157』の背番号のユニホームを用意してくれているのは知りませんでした。ホームで、それを掲げながら胴上げされて最高の気分でした。

2015年11月22日、この年のホーム最終戦となった湘南戦でゴールを決めた佐藤寿人は、中山雅史のJ1通算157得点の記録に並んだ。試合後には、チームメートが用意した、得点数を表した背番号『157』を着て、サポーターと共に歴史的偉業を祝った。

 あのユニホームは全員にサインを書いてもらい、自宅に飾っています。実は『158』も用意されていて、「準備していたんですよ」と言われたので「ごめん」と謝りました(苦笑)。 

2015年11月22日、実は『158』のユニホームも用意されていた。

 年間勝点74は1位。なのに2ステージ制なので、チャンピオンシップで勝たなければ優勝になりません。あと2試合、注目される中で試合ができると思う反面、これで最後に負けてしまったらどうしようという思いがありました。

 ガンバ大阪とのチャンピオンシップ決勝は、第1戦が3-2の劇的な逆転勝利でした。第2戦は前半に先制され、0-2で負けると逆転されるピンチでしたが、(浅野)拓磨がヘッドで同点ゴールを決めて1-1で引き分けに。最後の試合で1年間の成長を結果で示し、3回目の優勝を引き寄せてくれました。

 この年は紅白戦のレベルが非常に高く、メンバーに入るのが大変でした。2012年の初優勝は成熟してきたサッカーで達成し、2013年の連覇は何とか耐えて勝ち取りましたが、2015年の優勝は、チーム内の競争がもたらしたものだと思います。

 その後のクラブワールドカップでも3位となり、素晴らしいシーズンとなりました。そして、翌2016年がサンフレッチェでの最後のシーズンになるわけですが…続きは次回以降でお話ししたいと思います。(続く)

●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。通算のJ1得点数は歴代2位を誇る日本を代表するストライカー。引退後は指導者・解説者として活動している。