歴代2位のJ1通算161得点、Jリーグ最多となる通算220得点など、FWとして数々の金字塔を打ち立て、2020年に現役引退した佐藤寿人氏。2005年にサンフレッチェ広島に移籍し、3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した。生粋のストライカーの広島での12年間を佐藤寿人氏の言葉で振り返っていく。

FWとして数々の金字塔を打ち立てた佐藤寿人。

【最終回】涙が出たポイチさんへの報告

15回目から続く)

 お世話になった方への移籍報告では、ポイチさん(森保一監督)に伝えるときが一番辛く、涙が出ました。

 優勝したときも、僕が握手を拒否したときも、常に向き合ってくれました。僕を起用しないと決めていたのはポイチさんで、矛盾していると思われるかもしれませんが、それでも一緒に仕事ができている喜びがありました。

 吉田サッカー公園でロッカールームを片付けながら「これをするのは引退するときだと思っていたな」と感じました。加入した年から、ずっと同じ場所に座っていたんです。最後に外に出て、サンフレッチェ行きを決めるきっかけの一つになった、ピッチの写真を撮りました。

 そこから名古屋で2年間、千葉で2年間プレーして、2020年限りで現役を引退しました。2021年はサンフレッチェのホームゲームで解説をする機会も多く、ファン・サポーターの皆さんに声をかけられましたし、僕が解説をする試合に、背番号11のユニフォームを着て会場に来てくれる方もいるそうで、とてもうれしいです。

 皆さんは一緒に戦った仲間ですからね。いつか選手ではない立場で、また一緒に戦いたいです。今は解説などの仕事と並行して、指導についても学んでいます。いろいろなことを学んでサンフレッチェに還元したい思いがあり、そのタイミングは近い将来きっと訪れると信じて、準備を怠らないようにしたいです。

 2022年シーズンを迎えるにあたり、サンフレッチェはドイツ国籍のミヒャエル・スキッベ新監督が就任しました。経歴を見ると経験豊富な方ですが、具体的にどんなサッカーをするかは分かりません。入国制限の影響も気になりますが、いずれにしても前体制の4年間の継続ではなく、一度フラットにして、新しいスタートになるでしょう。選手の『序列』は変わるはずで、これまで試合に出ていなかった選手にはチャンスであり、出ていた選手は気が抜けなくなります。選手間の競争によって、チームが良い方向に進んでいくことを期待したいです。

 今回の連載であらためて感じたのは、サンフレッチェ広島は間違いなく、僕のホーム。12年間、とても濃い時間を過ごし、離れても思いは変わりません。例えるなら実家のようなもので、クラブも、広島の街も、特別な場所です。

 最後の写真は、吉田サッカー公園での〝最後の日〟に撮影したものです。実はあの日以来、行ったことがありません。僕のタブレットの背景画像にしていて、いつか戻ったら新しく撮影して、差し替えたいと思っています。その日がやって来ることを楽しみにしています。

 

【佐藤寿人連載】広島と共に戦った12年間

●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。通算のJ1得点数は歴代2位を誇る日本を代表するストライカー。引退後は指導者・解説者として活動している。