2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

2015年、ガンバ大阪とのチャンピオンシップを勝ち抜き、3度目のJ1リーグ制覇を成し遂げた。青山(右から3人目)はキャプテンとしてチームを牽引し、リーグMVPも受賞した。

【青山敏弘・後編】家族以外に初めて伝えた引退。2人とも涙が止まらなかった

 試合やシーズンを重ねるごとに連携が深まり、トシのアシストから多くのゴールを決めましたが、最も印象に残っているのは、2012年のJ1第31節・札幌戦で決めたゴールです。仙台と優勝を争っていたシーズン終盤、チームは前の試合まで3試合未勝利、僕自身も3試合無得点と結果が出ていませんでした。大きな重圧を感じる状況で、試合前の準備中に「今日トシのパスからゴールを決めるから」と言ったら、トシは「そんなにうまくいかないでしょう」と答えたんです。

 31分、エリア内左サイドに走り込むと、ハーフウェーラインの向こうからトシのロングパスが来ました。僕は常々「パスにメッセージを込めてくれ」と要求していて、あのパスには〝寿人さん、あとは決めるだけですよ〟というメッセージが込められているように感じました。僕は追い付くけど、相手のタックルは間に合わないという完璧なパスを、左足で蹴り込んで2-0としました。

 それまでの練習で、同じようなパスが外に流れたら「もっと内側だよね」と話し合いながら、何度も連携をすり合わせたことが、あのゴールにつながったと思います。この試合に3-0で勝ったことが初優勝への大きな一歩になりました。

 2015年は、キャプテンのトシが最初にJ1優勝シャーレを掲げました。僕からキャプテンを引き継いだ前年に、3連覇を逃した責任を感じていたトシが喜ぶ姿を見て、本当にうれしかったです。その後にJリーグMVPを受賞したときも、すぐに連絡して祝福しました。

 僕が千葉で2020年限りでの引退を決めたとき、真っ先にトシに電話しました。カズ(森﨑和幸)と(森﨑)浩司には以前から、その考えもあると話していましたが、正式に引退を決断し、家族以外に伝えたのはトシが最初です。

 練習場に到着し、これからクラブに伝えようという前に車の中で電話をかけて「やめるわ」と言いました。トシは驚いて「どうしてですか?」「まだできますよ」「サンフレッチェに戻ってくると言ってたじゃないですか」と……。2人とも涙が止まらなくなって、気が付いたら1時間くらい話していました。

 引退会見でも話しましたが、僕にとってトシは間違いなく『ベストパートナー』。

 何度も素晴らしいパスからゴールを決めることができました。プロ2年目から近くで見てきたので弟のような存在でもありますが、選手としての本質はずっと変わりません。チームのために走り、自分が輝くと同時に、周りの選手を輝かせる。元来の精神力や運動量も衰えていないからこそ、36歳という年齢でも試合に出場し続けて、安定したプレーを見せることができるのだと感じてます。

 以前のように主役ではないとしても、チームに欠かせない存在ですから、まだまだ頑張ってほしいです。タイトルを取ったことがない時期から在籍している唯一の選手として、2024年春に開業予定の新しいサッカースタジアムで躍動してほしい。僕たちのぶんも、トシが夢を叶えてくれると期待しています!

◆青山敏弘(あおやま としひろ)
1986年2月22日生、岡山県出身。2004年に作陽高からサンフレッチェ加入。プロ入り直後は負傷離脱が多かったが、2006年のペトロヴィッチ監督就任を機にレギュラーに定着。現在も中盤の主軸として活躍を続けている。2015年のJリーグMVP。2014年には日本代表としてブラジルW杯に出場した。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。