『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2008年、サンフレッチェのMFとしては初めて背番号『10』を背負った柏木陽介。現在はFC岐阜でプレーしている。

◆歴代FWが背負い、現在は若き司令塔へと受け継がれる背番号『10』

 今回取り上げる背番号『10』は、攻撃の中心選手がつけるエースナンバーと位置付けられている。得点源となるエースストライカー、もしくは中盤で攻撃の組み立てやチャンスメークを担うアタッカー、どちらかの場合が多く、サンフレッチェ広島の歴史を振り返っても、そうした選手が背負ってきた。

 1993年5月16日、サンフレッチェのJリーグ最初の試合で10番をつけたのは、FW高木琢也。日本代表にも選ばれていたチームの得点源だっただけに、自然な流れだった。ただ、過去の連載にもあるように、固定背番号制が導入された1997年は18番をつけている。

 代わりに10番をつけたのは、FW久保竜彦だった。筑陽学園高(福岡)時代は全国的に無名の選手で、サンフレッチェ加入1年目の1995年は公式戦出場ゼロに終わったが、翌1996年にデビュー。利き足の左足から繰り出す強烈なシュートや、ジャンプ力を生かしたヘディングシュートなどで、みるみるうちに頭角を現していった。

 1998年からは4年連続でリーグ戦2桁得点を挙げ、日本代表にも選ばれたが、2002年日韓ワールドカップのメンバーには選ばれなかった。この年サンフレッチェはJ2に降格し、久保は横浜F・マリノスに移籍。だが2008年、サンフレッチェ二度目のJ2降格となったシーズンに復帰し、『サンキュー』の意味を込めた背番号39で、J1復帰に力を尽くしている。

 久保が移籍した2003年以降も、しばらくサンフレッチェの10番はストライカーがつけた。クロアチア国籍のエルツェッグ、ブラジル国籍のマルセロ、チアゴ、ガウボンを経て、2006年から10番を任されたのがFWウェズレイだ。

 母国ブラジルでプロになった当初はボランチだったが、26歳でFWにコンバートされた。左右両足からの強烈なシュートなどを武器に、2000年途中からプレーした名古屋グランパスエイトでは2003年にJリーグ得点王に輝き、2001年から2003年まで3年連続でリーグ戦20得点以上を記録。サンフレッチェでも2年間でリーグ戦33得点を挙げ、FW佐藤寿人との2トップで相手の脅威となった。

 2008年、サンフレッチェのMFとして初めて背番号10をつけたのは柏木陽介。2006年にサンフレッチェユースからトップチームに昇格すると、1年目の途中からミハイロ・ペトロヴィッチ監督にレギュラーに抜てきされ、鋭いドリブルや正確なパスを武器にチャンスメーカーとして活躍した。2008年はプロ3年目で、サンフレッチェはJ2に降格していたが、独走での優勝&1年でのJ1復帰に大きく貢献している。

 これを機に、2011年にジョージア国籍のMFムジリがつけるなど、サンフレッチェの10番はMFの背番号になっていく。2013年にその流れを継いだのが、MF髙萩洋次郎だ。柏木と同じくユース出身で、高校2年時の2003年に早くもプロ契約を締結。2007年からの6年間は15番をつけていたが、2013年に10番に変更した。

 巧みなボールキープから相手の意表を突くパスを繰り出し、多くのアシストを記録して得点をお膳立てした。サンフレッチェがJ1初制覇を成し遂げた2012年に自身初のリーグ戦全試合出場を果たすと、背番号を変えた2013年も攻撃の中心として活躍し、連覇に貢献している。

 2016年、久しぶりにFWとして背番号10を託された浅野拓磨は、シーズン途中の海外移籍でクラブを離れ、2017年と2018年のMFフェリペ・シウバは活躍した時期が短かった。2017年途中に加入したFWパトリックは、苦戦を強いられていた同年はJ1残留に貢献し、2018年もリーグ戦20得点を挙げるなど大活躍したが、背番号が10に変わった2019年は出場機会が減り、シーズン途中の移籍で退団した。

 2020年から10番を背負っているのは、MF森島司。4年目の2019年に出場機会を増やし、プロ初得点を挙げるなどブレイクすると、10番初年度は自身初のリーグ戦全試合出場を果たした。

 切れ味鋭いドリブルや周囲とのコンビネーションに加え、セットプレーのキッカーとしても多くのチャンスを作っている。2021年末に右ヒザを手術したものの、すでに完全復活を果たしており、久しぶりのタイトルを目指す2022年も攻撃の中心としての働きが期待されている。