2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、J1リーグ通算得点数では歴代2位の161得点を上げるなど数々の記録を持つ佐藤寿人氏。3度のJ1優勝を果たし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くのファン・サポーターに愛されている。

 本連載では共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返る。第4回目の今回は、サンフレッチェユース出身・野津田岳人選手との出会い、共にピッチに立った試合、そして現在の野津田選手への想いを語る。

前編はこちら)

1ボランチのポジションで奮闘を続ける野津田。5月28日の名古屋戦では、広島復帰初ゴールも挙げた。

◆ピッチで躍動する姿に、“ついにここまで来たか”。

 2013年にJ初ゴールを上げた岳人でしたが、なかなかレギュラー定着とはいきませんでした。

 岳人がデビューした2012年から4年間で3回のJ1優勝を果たすクラブで、高卒から数年の若手が定位置をつかむのは簡単なことではありません。のちの(川辺)駿や(宮原)和也もそうだったように、サンフレッチェの黄金時代は、若手にとっては難しい時代でした。

 2016年、リオデジャネイロ五輪出場を目指していた岳人は、前年末の負傷もあり、開幕から控えにも入れなくなります。新潟への期限付き移籍の話を聞かされ、いろいろ話をしました。

 僕も移籍を経験しましたが、最終的には自分で決断し、全ての結果を受け止める必要があります。もちろん一緒にプレーしたかったですが、引き留めはしませんでした。

 ただ、新潟に行ってからもよく連絡を取っていました。リオ五輪には出場できなかったものの、広島しか知らなかった岳人にとって、異なる環境でのプレー経験は貴重なものになったはずです。

 この年のリーグ最終戦が、アウェイでの新潟戦でした。

 試合後に許可をもらって現地に残り、岳人と食事をしていたときに、名古屋から僕に「移籍の可能性はあるか」と電話が掛かってきたんです。岳人にも伝えて「可能性はゼロに近いけどね」と言っていたので、僕が移籍を決断して連絡したときは驚いていました。

 岳人はその後、清水や仙台に期限付き移籍しました。仙台は僕の古巣なので、強化部長に「岳人をよろしくお願いします」と連絡しましたし、逆に強化部長から「仙台に残ってほしいから、お前からも何か言ってくれよ」と冗談交じりに言われたりもしました。

 仙台では毎試合のように走行距離がJ1のトップになっていて、持ち味の走力を発揮しているな、と思いながらチェックしていました。

 2019年にサンフレッチェに復帰した後、ボランチに転向しました。甲府に期限付き移籍した2021年は、最初に感じた左足の正確なキックや、怖がらずにパスを受ける動きなどで持ち味を発揮し、復帰した今季もボランチで活躍しています。カズ(森﨑和幸)、トシ(青山敏弘)というボランチの名手を間近に見て、学んだことも生かしているでしょう。

 ずっと前から「サンフレッチェで活躍したい」という思いを聞いていたし、僕も「お前の本当の力は、こんなものじゃないだろう」と言い続けてきました。今季のプレーを“ついにここまできたか”という思いで見ていますし、それはきっとファン・サポーターのみなさんも同じですよね。

 昨年末も岳人に会い、11月に生まれた長男を抱っこさせてもらったんです。年齢が13歳違うので、親戚のおじさんの気分でした(笑)。かっこいい父親の姿を、たくさん見せてあげてほしいです。

 広島で生まれ育ち、地元でサッカーを始めて、アカデミーで育ってプロになった岳人は『サンフレッチェの宝』です。

 少し回り道をしたかもしれませんが、愛するクラブで活躍するチャンスをつかんでいる。だからこそ、ここからです。

 ここから、岳人が何を見せてくれるのか。期待しているし、応援しています!

◆野津田岳人(のつだ がくと)
1994年6月6日生、広島県出身。ポジション・MF。
中学3年時の2009年からユースでプレーし、中心選手として数々のタイトル獲得に貢献。高校3年時の2012年にJリーグデビューを果たす。2016年から複数のクラブに期限付き移籍し、2019年に復帰。2021年に再び期限付き移籍し、今季から広島に復帰した。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。