◆食トレが辛かった西条農業高校時代

前回の取材でお伺いしたお話によると西条農業高校に入られたとのことですが、選ばれた理由を聞かせてください。
「野球でいいところに行きたいなというのがあったので、まずはオープンスクールに行ったり試合を見たりして決めました。寮に入りたかったのもありますし、また、父が機械系の仕事をしているので、機械科のある西条農業を選ばせていただきました」

ー西条農業といえば甲子園にも出場したことのある強豪ですが、入ってみていかがでしたか?
「元々厳しい高校だということは知っていたんですが、いざ入ってみると野球だけでなく寮生活なども大変だと思うことは結構ありました。上下関係が厳しいのは高校野球ではよくあることだと思いますが、シンプルに寮生活に慣れるということだけでも大変でした」

 

ーちなみに当時の野球部は何人ぐらいいたんでしょうか?
「僕が一年生で入ったときは100人弱いたと思います。100人いるところにいた経験もないので、どうやったら監督に目をつけてもらえるんだろうということは常に意識していました。一年生のやるべきことなのかもしれないですが、アピールが得意なほうではなかったので(笑)」

ー練習はいかがでしたか?
「身体づくりのための食トレとして、練習中に白ごはんを食べるのが一番きつかったです。例えば、1班バッティング、2班守備、3班ティーバッティング、4班食事というふうに振り分けられて、それをローテーションしながら練習し、そのあと寮で夜ごはんを食べなければならないという毎日だったので、個人的に食が細い方なのもあってそれが一番大変でした。特に夏場は、水ばかり飲んでしまって食事がのどを通らなくて(苦笑)」

ーその練習中の食事は白ごはんだけなんでしょうか?
「はい。おかずがあるわけでもなく、おにぎりになっているわけでもなく。一人ずつお茶碗を持っていってついでもらって、各々持参のふりかけとかを使いながら食べていました」

◆監督へのアピールで打ったか取れたかは二の次

ー思い出に残っている大会はありますか?
「3年生の春の大会のリーグ戦で初めて背番号をつけられたので、そのときはやっぱり嬉しかったです」

初めて背番号をもらった「16」

ー当時は何が得意でしたか?
「背番号をつけて出た試合ではうまくいかなかったんですが、やっぱりバッターとして打席に立って、ヒット打って結果を出せたときが一番楽しいと感じる瞬間でした」

ー監督にはどうやってアピールしていたのでしょうか?
「声ですね。打ったか取れたかは二の次で、声を出してチャンスをもらえるかどうかという感じなので。あとは監督の近くに行ったりしていました(笑)」

ー高校時代の一番の思い出は?
「やっぱり3年生最後の夏の大会です。夏はメンバーからは外れてしまったんですが、開幕戦だったのでマツダスタジアムで広陵と戦って、いろんな人がスタンドにいる中で応援団長としてやらさせてもらったので。背番号のある20人だけが戦っているわけではないので、そこをみんなでどうやって上げていけるか最も考えた時期だったということもり、一番思い出に残っています」

ー応援はどのようにまとめていたんでしょうか?
「西条農業は、夏は吹奏楽部も一緒に来て応援してくれるので、吹奏楽部と相談しながら練習していました。野球そのものの練習とはまた違った大変さがあったと思います」

ーその試合の結果はどうだったのですか?
「7回でコールド負けして、そこで自分の野球人生が終わりました」

ー終わった瞬間はどういう思いだったんでしょうか?
「あまりこういうことを言うタイプではないですが、親にありがとうというのを一番最初に思いました。あとは、『あのときこうしておけばよかった』っていう小さな妥協に対する後悔なども、全部終わってしまってから気付いたりしました」