1988年4月13日生、茨城県出身。2006年高校生ドラフト3巡目でカープ入団。プロ8年目の2014年に捕手として球団4人目の二桁本塁打を記録。2017年から3年連続ベストナインを受賞。2018年からは2年間選手会長を務め、強いリーダーシップを発揮。昨年オフにはFA権を行使せずカープ残留を決断した。

『捕手・會澤』を生んだ監督

 赤いユニホームでの躍動を目にするたびに、喜びの気持ちが沸いてくる。同時に、少しばかり残念な記憶も打ち消すことができない。

 「今の活躍を見て、本当にうれしいですね。彼の活躍は誇りです。それと共に、もう少し長く指導したかったとも思います」

 會澤翼は今や、日本を代表する捕手に成長した。強打の捕手として石原慶幸との2枚看板を形成した時期もあれば、高い総合力を武器に球団捕手史上初の3年連続ベストナインに輝き、カープのリーグ3連覇の原動力となった。それだけではない。2018年からの2年間は男気溢れるリーダーシップで選手会長としてチームをまとめあげ、2019年秋には侍ジャパンの中心選手として活躍し、プレミア12では正捕手として世界一に大きく貢献。全国区の評価を不動のものとした。

 高校時代の恩師・齋藤博久が會澤を指導した時間は、約4カ月だけだった。2002年に水戸短大付高の監督としてセンバツ甲子園にチームを導いたが、2004年、會澤が高校1年の夏に監督を退任していたのである。現在は、桐蔭横浜大の監督を務め、明治神宮大会での全国制覇など輝かしい実績を残している。

 「初めて會澤君を見たのは、彼が中学3年の10月でした。投手をやっていましたが、とにかく肩が強くて、ガッチリした体格が印象的でした。当時、うちのチームは捕手があまりいなかったということもあって、彼が捕手をやったら面白いだろうなと思いました」

 齋藤は、水戸短大付高の野球部に入ってきた會澤を捕手に転向させ、チームの将来的な軸に据えようと考えた。自身も捕手だった齋藤は、基本プレーを徹底して教え込んだ。

 「彼も初めてのことですので、とにかく基礎的なことからやりました。キャッチング、ブロッキング、スローイング、そういったことから指導しました」

 約2メートル離れた距離から下手投げで球を投げ、捕手はその球を素手で受ける。さらには、マシンに速めの直球やカーブを投げさせて、その球を受ける捕手はミットが落ちないキャッチングを反復する。これらは、齋藤が捕手に課す定番の練習メニューである。

 「會澤君はすんなりできました。上級生に捕手がいなかったという事情もありはしましたが、十分に通用する選手だと思いました」

 打撃にも非凡なものがあった。「昔から右方向に大きい打球を打つことができました。それは魅力でした。球の捉え方が上手かったです」。齋藤は、打者のスイング量を大事にする指導者である。現在監督を務めている桐蔭横浜大でも、「3週に1週はバットの振り込みにあてる」という。午前中3時間の練習でも、スイング数は500〜600にのぼるという。

 「打撃は、良くて打率3割の世界です。フォームのこともあれば、目を慣らすという意味もあります。それとイメージです。バットを振る期間に疲れさせて、翌週は選手もしんどいものですが、翌々週あたりに楽になる。その感覚を持ってもらいたいのです」