バットを振り込むことで、打撃のメカニズムは洗練され、無駄な力も抜けていく。入団当初の會澤の取材を私も覚えている。「トンカチの感覚ですね。力を入れればいいのではなく、無駄な力は抜いていきたいと思います」。まさに、目指す方向は一貫していたのであろう。
再び齋藤の記憶に戻ろう。「高校1年のときは、彼もまだ体ができていなくて、ついていくのが精一杯という感じでした」。會澤を指導した記憶はここまでだ。會澤が1年生の夏、齋藤が監督を退任したからである。
チームを離れた齋藤は、上級生になった會澤のプレーを見ることはなかった。しかし、評判は耳に入ってきた。
「対戦チームの関係者から、すごく素晴らしいバッティングをしていると何度も聞きました」 齋藤は會澤の将来性は確信していた。
「将来は上のレベルでやる選手だと思っていました。3年間一緒にやりたかったと今も思います」
あれから16年。齋藤の見立てに狂いはなかった。赤いユニホームを着た會澤の一挙手一投足に過去の記憶が符合する。
「もともと人を惹きつける力がありました」
「あの右方向の打球、捕手でなかったらクリーンアップも打てるでしょうね」
「死球を頭部に受けても立ち上がる。少しヤンチャなところはありましたが、昔から強い性格でした」
指導期間はわずか4カ月ではあっても『教え子』の存在は気になるものだ。
「この前、野球の記事で、2番鈴木誠也、4番會澤翼というのを読んで、これは面白いなぁと思いました」
言葉の隅々にまで愛情と誇りが満ちている。
高校時代の會澤は、指導者が3度交代している。それだけに「3年間やりたかった」という齋藤の言葉は、教育者としても野球人としても心の底からのものであろう。
「でもね、わずか4カ月の監督だった私の名前を彼が出してくれて、本当にうれしいですよ」
これに尽きるだろう。短い時間であっても感謝を忘れない會澤、短い時間に大事なものを与えた齋藤。野球に真正面から向き合うド迫力のプレーを見せること。これこそが、最高の恩返しなのである。