日本を代表するヒットメーカーである秋山翔吾のカープ移籍は、世間のプロ野球ファンに驚きをもたらした。ここでは、過去カープに電撃移籍、復帰を果たした選手たちの言葉を振り返っていく。

 今回は、2014年オフにメジャーリーグ・ヤンキースからカープに復帰を果たした黒田博樹が当時復帰会見で語った思い(後編)をお届けする。

 前編はこちら

2007年まで背負っていた背番号「15」を再び背負った。

◆カープ復帰が野球人生最後の決断

 年齢を含めていろんな部分を考えると、カープに帰るとしたら今年が最後じゃないかなと自分のなかで勝手に判断していた部分がありました。いろんなことを考えつつ、帰るなら今年しかないかなということだったと思います。

 最初にメジャーに挑戦したときから、もし日本に帰ることがあればぜひカープに帰ってきたいと思っていました。そういうことを口にはしてましたけど、その気持ちがブレないためにもなんとかメジャーで結果を出し続けたいというものが、今考えれば自分のなかでのモチベーションになっていたと思います。カープはそれくらいの気持ちにさせてくれるチームだと思います。

 ましてや今回、僕と一緒に出ていった新井(貴浩)がまたカープに帰ってくるということで、球団としての懐の大きさというか度量の大きさをまた改めて感じました。多少なりともそれも僕のなかではカープに復帰する一つの要因だったんじゃないかなと思います。

 ヤンキースに移籍してから毎年1年ずつ契約させてもらっていましたし、年齢的な部分を考えても先は本当に長くないと自分のなかで思っています。いつ最後の一球、最後の登板になってもいいようにという気持ちで野球をやってきました。その一球のためにどれだけ気持ちを込めて投げられるかと考えたときに、日本で、そしてカープのユニホームを着て投げる方が、もしそれで最後の一球になったとしても自分のなかで後悔は少ないんじゃないかなと、そう自分自身で判断しました。

 今まで毎年毎年、1年契約をしていろいろ悩んだり考えたりしながら進路を決めてきましたが、今回ほどたくさん悩んだことはなかったです。

 実際に自分自身もどうしていいか分からなくなっていた部分もあったので、僕自身はこれが最後の決断だと思って決断しました。

 もう40歳ですし、みなさんが期待するほどのピッチングができるかどうかも現時点ではそこまでの自信はまったくありません。そのなかでもがき苦しみながらも最後はカープのユニホームで投げたいなと、それが一番ですね。

 そんなに僕の野球人生も長くないと思うので、毎試合が最後だと思って、その一球が最後だと思って、その気持ちはメジャーにいたときから変わらずそういう気持ちでマウンドに上がっていきたいなと思います。

 8年ぶりに広島に帰ってきて、どこまでできるか本当に現時点ではわからないです。しかしマウンドに上がる気持ちというのは何歳になっても変わらないと思いますし、勝ちたいという気持ちも変わらないと思うので、そういう気持ちを常にマウンドで出していければいいと思います。それをたくさんの人に見てもらえればいいなと思います。