広島県高校野球界のみならず、全国的にも強豪校として知られる広陵野球部。

 甲子園常連校を長年率いる中井哲之監督の教え子には、多くのプロ野球選手が存在する。 ここでは改めて名将が考える指導論と、カープで活躍する教え子たちへの思いを聞いた。

監督として春のセンバツに12回、夏の甲子園には8回出場。今夏も強豪・広陵を率いて戦った中井哲之監督。

◆単純にわかりやすく伝えている

―まず、中井監督の指導哲学をお伺いします。広陵野球部監督に就任され、30年以上指導されています。一貫して大事にされていることを教えてください。

 「私が目指しているのは、みなさんに“応援してもらって、勝てる野球”です。“勝てる”が先にくるのではなく、みなさんに“応援してもらって”が先。言い方を変えると“愛されて、応援されて勝てる”チームということです。高校3年間というのは、野球をするだけではなく、学校やOB、周りの方に、野球以上に生きる力を教えてもらい、身につける場所だと思います。また、僕自身が野球以外にも厳しいので『当たり前のこと』です。ウチのように部員数が多ければ、ベンチに入る人数より、裏方に回る子の方が明らかに多いわけです。3年間控えをやり通した子が『広陵で良かった』『中井の下でやれて良かった』と思ってくれる指導をしていかなければいけないとも思っています。卒業した後に分かることもたくさんあります。私は単純に分かりやすく伝えているつもりです」

―「ありがとう」という言葉が監督室に飾ってあります。

 「何事も当たり前になってはいけません。『ありがとう』の反対語は『当たり前』という意味で考えています。大人になり、年齢を重ね、立場が上がっていくと『ありがとう』は、なかなか言わなくなりがちです。私は育ってきた環境もあり、年下の教え子にも『ありがとう』や『大丈夫か?』という言葉を意識せず発するタイプなので、発しない人のことはなんとなく分かってしまいます。だがらこそ、そういうことを伝えていきたいと思っています」

―長い監督生活の中で、特に印象に残っている試合や場面はありますか?  

「あまり試合のことは覚えていないんですよ(苦笑)。勝った、負けたということより、日常生活での出来事や、発言などそういうことを覚えています。試合のことは、みんなが覚えてくれていますから。ただ『あの子はすごかったな。自分はこの年にこんなことができていたかな?』など、そういうことを感じることが多々あります。日頃厳しいことを選手には言っていますが、あの子たちから教わることはとても多いです。ですので、野球の勝った負けたよりは、どちらかというと野球以外のシーンを覚えています」

―広陵野球部を卒業した方々からは、普段の学校生活の中において野球部は模範であるべきだとお聞きすることも度々あります。  

「野球部の大会に全校応援として参加してくれたり、甲子園に行ったり、学校側はたくさんの準備をしてくださいます。やっていただくだけではいけませんし、野球以外のことで頑張れることは精一杯頑張りなさいと伝えています。ただ野球だけをやっていても誰も応援してくれないし、認めてくれません。とにかく、野球以外のことを大事にしなさいということは指導しています」

 =後編へ続く

中井哲之◎なかいてつゆき
1962年7月6日、広島県出身
広陵高、大商大を経て、1985年に広陵に赴任し、硬式野球部副部長を務める。1990年に27歳で野球部監督に就任すると、翌1991年には、65年ぶりとなる春の選抜甲子園で全国制覇を達成。2003年にも元巨人・西村健太朗、白濱裕太らを率いて全国制覇した。夏の甲子園では、2007年、2017年と2度チームを準優勝に導いた。これまでの監督人生で春12回、夏8回甲子園出場し、通算成績は34勝18敗1分け。現在は同校で新たに創部された女子硬式野球部の総監督も兼任している。