2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

3回のJ1優勝に貢献したミキッチ。

◆たくさんの勝利の喜びと敗戦の悔しさを共有した

前編はこちらから。

 ミカは家族ともども広島の街を気に入っていたので、広島市内で見かけたというファン・サポーターの方も多いのではないでしょうか。Jリーグのレベルを高く評価していて、そこでプレーすることを大切に考えていました。だからこそ広島の人たち、ファン・サポーターのみなさんにあれだけ愛されたのでしょう。

 一緒にプレーした8年間、食事に出かけたこともたくさんありますし、いろいろなことを話しました。僕のサンフレッチェでの最後の年となった2016年は、移籍のことよりも、現役引退後のセカンドキャリアの話題が多かったです。「サンフレッチェで一緒に仕事がしたいね」と話していて、指導者がやりたいというミカは「寿人がゼネラルマネジャーになって、俺を監督かコーチで招へいしてくれよ」と言っていましたね(笑)。

 僕が名古屋グランパスに移籍し、ミカのサンフレッチェでの最後の年になった2017年も、去就について考えていた時期に広島まで行き、今後について話しています。翌年、湘南ベルマーレに移籍したミカとは、湘南での試合で2人とも交代出場して同時にピッチに立ち、試合後にユニホームを交換しました。2人が違うユニホームを着ていることに違和感があったことを覚えています。

 この年、湘南はルヴァンカップで優勝し、クラブ初のタイトルを獲得しています。サンフレッチェがそうだったように、勝者のメンタリティーを持つミカが若い選手に影響をもたらしたことも、タイトル獲得の要因の一つだったでしょう。同年限りで現役を引退したミカには、知り合いのアーティストに頼んで肖像画を描いてもらい、プレゼントしました。

 サンフレッチェでは3回のJ1優勝をはじめとする勝利の喜びだけでなく、敗戦の悔しさも数多く共有しました。だからこそミカは、やっぱり僕にとって特別な存在です。それは日本とクロアチア、距離が離れている現在も変わりません。

 選手としては、仕掛けること、はね返されてもトライを続けることの大切さを見せてくれました。一方で一人の人間としては、広島を愛し、愛されていました。

 そんなミカと、また一緒に仕事がしたいです。サンフレッチェで一緒に戦っているときに話していた未来の姿が、いつか広島で現実になるように。そのときまでお互い頑張っていきたいですし、現在の状況が落ち着いたら、クロアチアまで会いに行くことも考えています。

《プロフィール》
ミハエル・ミキッチ
1980年1月6日生、クロアチア出身、ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2009年〜2017年
クロアチアやドイツのクラブでのプレーを経て、2009年にサンフレッチェに加入。クラブの外国人選手史上最長の9年間在籍し、スピードを生かした突破からのクロスで多くの得点をアシストするなど、3回のJ1優勝に貢献した。2018年限りで現役を引退。