2010年から5年間カープを率い、25年ぶりの優勝への礎を築いた野村謙二郎元監督。この特集では監督を退任した直後に出版された野村氏初の著書『変わるしかなかった』を順次掲載し、その苦闘の日々を改めて振り返る。
「変わるしかなかった。」のご購入は、広島アスリートマガジンオンラインショップ

 

 9月以降の失速もそうだが、この年もまた巨人にはひどく負けた。対戦成績6勝16敗2分。巨人だけで10の借金をつくっていては勝負になるはずがない。巨人戦になると、選手はみんな呑まれてしまうのだ。チームとしても呑まれる雰囲気をつくり出していた。あとはスキもあった。巨人同様、一時期の中日にも競ったら絶対負けてしまうイメージがあった。チームは長年の間に、そんないくつもの呪縛に取り憑かれてしまっていた。

 巨人相手でいうと、僕らの現役時代は今とはまったく異なる気持ちで試合に臨んでいた。僕たちは「なんでおまえはそれだけしか試合に出てないのに俺よりも給料をもらえるの? そんなヤツらに負けてたまるか!」「なんで俺は4安打も打ったのにバントした選手が新聞の1面を飾るの?」といった憤りをそのまま試合にぶつけていた。

 そんな僕の個人的感情もあってか、例の手帳も巨人戦のときは真っ赤になっている。僕は怒りの情報は赤ペンで記していたが、巨人戦は特に赤字でびっしり埋められているのだ。たとえば8月14日、2対6で負けた試合。バリントンが先発で、阿部(慎之助)に3ランを打たれて逆転されたが、手帳にはこう書いてある。

「試合後のスタッフミーティングで、ピッチングコーチはバリントンが4回までノーヒットに抑えた話と5回の阿部の3ランの話ばかり。谷(佳知)にスチールされてるのに、なんでクイックの話が出てこんのかな?」。そしてその後「そこで崩されてることをなんで議題に挙げないのか」と書き殴っている。

 こうしてみると、心の中では巨人に対する苦手意識を払拭しないと先に進めないことを、この時期から感じていたのかもしれない。結局、2011年も優勝という目標を果たすことはできなかった。