選手としては、通算2000安打、トリプルスリー達成など、球史に名を残す経歴を持つ元カープの野村謙二郎氏。走攻守三拍子揃ったショートとして活躍し、現役引退後は監督としてもカープを16年ぶりのAクラス入りに導いた。

 ここでは野村氏の独占インタビューをお届けする。野村氏が語る、旧広島市民球場の印象。そして、忘れられない三村敏之・元監督の教えとは。

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現役最終年となる2005年に通算2000安打を達成した野村謙二郎氏。

◆どんな賞よりもうれしかったのは、ゴールデングラブ賞の受賞

─野村さんが現役時代、ホームである旧広島市民球場は土のグラウンドでした。守る上で難しさはあったのでしょうか?  

「旧市民球場は難しかったですね。シーズン初めの時期はあまり使用されていないので土のグラウンド部分も結構良い感じでしたが、社会人野球の都市対抗野球予選や高校野球の試合後のグラウンドの土は硬さが変わるんです。球場のグラウンド整備の方々にはローラーをかけたり本当にいろいろやっていただくのですが、連日試合をするとやはり球が跳ねたり、イレギュラーしたりするわけです。ですから、人工芝のグラウンドをホームとしてプレーしている他球団の選手を見ていても、普段とは違う動きになっているなと感じました」

守備でも高い貢献度を誇り、カープの内野を堅守した野村謙二郎氏。

「確かに守りは難しかったですが、三村さん(敏之・元カープ監督)から教わった忘れられない言葉があります。『いっぱいいっぱいのプレー、ファインプレーというのは自然に生まれるけれど、エラーという凡ミスは油断から始まる。だから優しいゴロほど疑いなさい』と。『普通にリズム良く“ポンポンポン”とくるバウンドは、“どこかで跳ねる”と思いながら捕球しなさい。普通にきた時は、そこに安心するな、次は送球があるぞ』とずっと言われていました。旧市民球場での守備は非常に難しかったですし、大変でしたけど、そこでプレーをしたことがある先輩方やコーチが指導してくれたことを、試合をこなすごとに『そういうことなんだな』と体験しながら教わったような気がしますね」

─旧市民球場で守った経験というのは、野村さんにとって大きなものなのですね。

 「現役を終えてみて思うのは、球場がマツダスタジアムになって綺麗になったのはうれしいですし、素晴らしい日本一の球場なんですが、当時の旧市民球場を知っている人たちと話をすると『いや〜守っていて怖かったですよ』とみなさん口を揃えて言います。それだけに、他球場で人工芝のグラウンドを守っているときは楽ではありませんが、気持ち的には違いましたよね」

─1995年には、球団初となるショートでのゴールデングラブ賞を獲得されました。

「ありがたいことに最多安打など何度かタイトルを受賞することができましたが、一番うれしいのがゴールデングラブ賞です。ショートとして受賞できたのはもちろん、野球人としてうれしかったです。これは僕だけで受賞できるわけではありません。当時ファーストはルイス・メディーナという体の大きな外国人選手でしたが、高い送球を捕球してくれたり、ワンバウンドもうまく捕ってくれたりして、彼の存在が大きかったですね。今でも仲良くさせてもらっているのですが、 『ゴールデングラブを半分に切って、半分俺によこせ』なんて冗談も言われます(笑)。個人的にずっとに目指していた賞ですし、そのためにすごく助けてくれた選手もいて、僕にとっては忘れることができない賞です」

 =インタビュー第4回に続く=

<プロフィール>
野村謙二郎●のむら・けんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。
1988年ドラフト1位で広島入団。入団2年目にショートに定着すると、長年にわたって1990年代のカープ内野陣をけん引した。トリプルスリーを達成した1995年にはショートとして球団初のゴールデングラブ賞を獲得した。走攻守三拍子揃った球界を代表するショートとして長年活躍し、2005年には通算2000安打を達成し、同年引退。2010年から5年間カープ監督を務め、2013年にはチームを16年ぶりのAクラスに導いた。現在はプロ野球解説者として活動中。