◆日本人の大砲でサードを守れる選手をつくりたい

 もちろんこの時点で、彼を全試合スタメンで使うなんてことは考えていない。とりあえず開幕スタメンで試してみて、どこまでやれるかを観察するつもりだった。まあ、開幕で使ったことで少々のことがあっても代えないでおこうとは思っていたが、それにしても……現実は少々どころではなかった。シーズンを通して両リーグワーストの29失策。球団新記録の150三振。ただ14本という本塁打数は、この年チームでナンバーワンである。

 堂林に関しては正直、僕も途中から意地になったところがある。彼もしんどかっただろうが、僕もしんどかった。そのとき僕の頭の中にあったのは、とにかく日本人の大砲でサードを守れる選手をつくりたい、ただそれだけのことだった。

 たとえば2015年シーズン、“キクマル”の2人に堂林が加わり、(鈴木)誠也が出てきて、さらにドラフト1位で入った野間(峻祥)まで入ってきたら、どんなチームになるか考えてみてほしい。全員若く、スピードがあって走れる選手ばかりだ。彼らがスタメンにズラリと名を連ねるヤングカープがどんな野球を見せてくれるのか……それを想像しただけで僕は興奮を抑えられない。

 そこにファーストと外野に頼れる外国人選手が加われば、どこにも負けない強力な打線が組めることだろう。しかしそのために必要なのは打てるサード。やはりサードが固定されないとダメなのだ。もちろん小窪(哲也)もガッツのある良い選手だ。彼もチームにとっては欠かせない選手だが、チームの年齢分布を考えると20~25歳の選手に出てきてもらいたいという気持ちがある。

 しかし堂林を起用することは常に葛藤を抱え込むことでもあった。目の前の勝利のためには、時期を見て代えなければいけないことはわかっていた。だがそれと同時に彼を育てるということを考えると、我慢して経験を積ませること、「生みの苦しみ」という考え方もある。

 彼をここで逃がしてしまうのは簡単なのだ。打席に立っても打てないし、守備に就けばエラーをする。そういうときは試合になんて出たくないし、僕が「スタメン、七番サード堂林」と告げることが辛く感じられたこともあったかもしれない。

 しかし僕はあえて彼を逃がさなかった。ここで逃したら、たぶん次はもう、ない。そして僕にとってこの年は、今年こそ最後だと覚悟して臨んでいるシーズンでもある。その意固地にも見える態度の裏には「俺がいなくなったらおまえどうするの? だから頑張れよ!」という気持ちもあった。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。