2022年シーズン、コンディション不良での一時離脱などありながらも、ここまで打線の核としてチームをけん引し続けた西川龍馬。いまやカープに欠かせない存在となった男も、プロ入り時は5位指名だった。
ここでは改めて、ドラフト会議に対するイメージと、スカウトとの不思議な “縁” と “運” に導かれた自身のドラフトを振り返ってもらった。
◆「プロを目指す」と宣言して始まった、社会人3年目
─今年のドラフト会議は10月20日に開催されます。西川選手もこの時期になると、ご自身のドラフトのことを思い出されるのではないでしょうか。
「自分のドラフトを思い出すというより、『今年はどんな選手がカープに入ってくるんだろう』ということの方が気になりますね。僕もいち野球ファンとして、『甲子園で活躍したあの選手はこの球団に行ったんだな』など、楽しみながらチェックしています」
─西川選手はプロ入り前に、『ドラフト会議』に対してどのようなイメージを持たれていましたか?
「何でしょうね(苦笑)。あまりドラフトに対するイメージはなかったというのが正直なところです。いざドラフト当日となったときにも、意外と緊張もなく『ああ、今日はドラフトかぁ』くらいの感覚でした。一番ドラフトを意識したのは、やはり社会人3年目に入って、プロ解禁になった年(2015年)でしたね。その年は、当時の稲場(勇樹)監督とも話をして、『プロを目指して頑張る』と宣言して始まったシーズンだったので、自分でもより必死に取り組んだ1年だったと思っています」
─西川選手は、野球の名門校である敦賀気比高の出身ですが、高校卒業時点でプロ志望届を出すという選択肢はなかったのでしょうか。
「高校に入学した当初は、プロ志望届を出して卒業後すぐにプロに進みたいという思いもありました。ただ、当時はまだまだ体もできていませんでしたし、『このままプロに進んでも活躍できないだろう』という思いもありました。そこで野球部の東(あずま)哲平監督とも話をしたところ、『社会人チームで “大人の野球” を経験してからでも遅くはない』とアドバイスをいただいて、納得した上で社会人に進むことを決めました」
─そういう意味では、社会人野球の王子で過ごした3年間という期間は、西川選手にとっても大きな経験になったということでしょうか。
「そうですね。社会人野球の王子では高校時代に比べて、より細かい野球などもいちから教えてもらったので、進んで良かったと思っています。ただ、入社したときから、『最短3年でプロに行きたい』という思いを常に持っていました。プロ入りしてからも意外とすんなり適応することができたのは、社会人を経験したからだと思っています。高校生からプロに進んでいたら、いろいろと分からないことも多かったんじゃないかと思いますね」
=中編へ続く=