◆苦しいことばかりの20年間

─新井選手がカープ復帰後、チームは3連覇の偉業を達成しました。カープの強さはどこにあると思われますか?

 「やはり、一丸となれているところでしょうね。もちろん技術的に高い、若い良い選手が多いというのもあります。ですが、それだけではなく、気持ちと気持ちがつながっているというか、そういう部分が今のカープの強みだと思います。僕はよく『家族一丸』という表現をするんですけど、『自分さえ良ければ良いよ』という選手はいないですよね。『自分も頑張るけど、お前も頑張れよ! 一緒に頑張るぞ!』という、気持ち、そういう心でつながっているだけに雰囲気も良いですよね」

─以前、旧広島市民球場についての思いを伺った時に『自分を育ててくれた場所、思い出が詰まった場所』とお話しされていました。今、新井選手にとって、マツダスタジアムはどんな場所だったと言えるでしょうか?

 「最高の球場ですよね。本当に自分の家みたいな感じで、居心地が良い最高の場所だと思います。カープに復帰してからはすごく充実していたし、たくさん良い思い出が詰まった素晴らしい場所ですよね。旧広島市民球場のときは若くてとにかくガムシャラに過ごしていた思い出が多いですけど、マツダスタジアムはベテランになってからですからね(笑)。本当に良い思い出がいっぱいの場所となりました」

─改めてお聞きしたいのですが、現役を終えた今、プロ20年間で一番印象に残る場面を聞かせてください。

 「思い出はいっぱいありますからね……一つには絞れないですけど、やっぱり2016年に僕自身初めて優勝を決めた試合で黒田さんと泣きながら抱き合ったことですね。あと、マツダスタジアムに限って言うと、すごく印象に残っているのは、2015年にカープに戻ってきて代打で初打席に向かったときの大歓声ですね。この2つはすごく印象に残っています」

─2015年以外は、背番号25を背負い続けられました。25という数字にこだわりなどはありますか?  

「やっぱり、しっくりくるのは25ですよね。25番ってメジャーリーグでもそうですが、良い選手がつけている背番号というイメージを持っていました。自分はドラフト6位での入団でしたし、最初に背番号を聞いたときに『こんなに良い番号をもらっていいのかな?』というのが最初の印象でした。そこからずっと25番をつけさせてもらって、1年間だけ28番をつけましたけど、やっぱりしっくりくるのが25番でしたね」

─プロ野球選手としての20年間は新井選手にとってどんな時間でしたか?

 「僕、基本的に野球を楽しんでやったということがほとんどないんですよね。そう考えたら苦しかったことの方が圧倒的に多かったですね。それはグラウンド内でもそうですし、グラウンド外でもそうです。選手会長だったときも大きな問題がたくさんありましたしね。だから20年間苦しかったことばかりしか覚えていないですね。でも、今考えたら苦しんで良かったと思えるんですけど……やってるときは苦しかったですね(苦笑)」

─現役生活を終えた今、自分自身にどんな言葉をかけたいですか?  

「そうですね……今、自分に言葉をかけるとしたら……『よう頑張ったのう! あのヘタクソだったお前が』ですかね(笑)これは本当にそう思います」

─最後に、ファンのみなさんへメッセージをお願いします。

「なんて言うか……ファンのみなさんからは本当にたくさんの感動をいただきましたし、本当にたくさんの声援、たくさんの感動をいただき、心からありがとうございました! それ以上の言葉が見つからないですし、その言葉に尽きます」

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