4年連続のBクラスに終わったカープ。 シーズンを通して払拭できない課題がある一方で、先発陣の充実や、若手投手の台頭もみられた。 ここではOB・大野豊氏が、佐々岡カープ3年間の投手陣を独自の視点で振り返る。(数字は全て10月14日時点のもの)

◆若い選手の成長と活躍こそ、佐々岡カープ3年間の功績

10月2日のホーム最終戦で、集まったファンにシーズン終了と辞任の報告をする佐々岡監督

 カープの2022シーズンが終了しました。結果は5位と、4年連続Bクラスとなってしまいましたが、この3年間で佐々岡真司監督が残した功績も多かったのではないかと思います。今回は、佐々岡カープの3年間を振り返りながら、お話をさせていただきます。

 佐々岡監督は、53年ぶりに誕生した投手出身の監督ですから、投手陣を踏まえたしっかりとした『守りの野球』をしていこうという考えでシーズンに入ったのだと思います。先発陣の頭数、投手の分業制が進む中で、リリーフ陣、クローザーをどう固めていくのか。まずはその整備をしなければいけないという思いがあったのでしょう。  

 佐々岡監督が就任して最初の仕事は、ドラフトで森下暢仁を獲得したことです。2年目には栗林良吏も獲得しています。先発の軸となる投手を取れたこと、クローザーに抜擢された栗林が見事に機能したという意味では、若い2人の存在は非常に大きかったと思います。また、シーズン終盤で矢崎拓也が台頭してきたことも大きな収穫でした。矢崎はプロ入り初の先発マウンドであわやノーヒットノーランを達成しかけた投手です。佐々岡監督は二軍監督時代からずっと彼を見てきて、良いものを持ちながらも何かが足りない、改善しなければいけないという思いで向き合ってきたのでしょう。その結果、徐々に期待に応えることができるようになり、非常に大きな戦力になってきたと思います。数字と結果は別としても、若い投手陣が出てきたことは、佐々岡監督の功績といえるでしょう。

 就任1年目の2020年は、新型コロナの影響でレギュラーシーズンの開幕が6月にずれ込みました。コロナの影響は、カープのみならずどこのチームにも言えることですが、佐々岡監督の気の毒だったところは「さあこれからチームの立て直しをしよう」と思ってシーズンに入っていったものの、いきなりコロナ禍に見舞われ、コロナ禍の中で終わった3年間だったことでしょう。「コロナ禍にどう対応していくか」ということで、勝負だけではない部分での苦労や、大変さもあったのではないでしょうか。

 そんな中でも投手陣が力をつけてきたこと、若手をしっかりと育ててきたことは監督の大きな功績です。しかしトータルで考えると、投手陣の経験不足、力不足の面は否めませんでした。監督自身も誤算に感じたかもしれませんが、あれだけの先発陣がそろっていて、開幕から6連勝し、「よし、今年はいけるぞ」という流れの中、やはりクリアしなければいけなかったのは交流戦でした。また、まだまだ3位に入れる可能性がある中、8・9月に負け越してしまったこと、勝負どころで勝ちきれなかった点も残念でした。

 佐々岡監督の傾向として、特にシーズンの序盤・中盤では、「先発に長いイニングを任せる」という感覚で投手運用をしていたのではないかと思います。それが変化したのは9月に入ってからです。先発投手が九里亜蓮であろうが、大瀬良大地であろうが、森下であろうが、早めの継投に入るようになりました。これは、先発の疲れが溜まってきたことや、信頼感が薄れてしまったことも影響しているのではないかと思います。今までは、ここまで先発陣がそろって不調に陥ることは滅多にありませんでした。同じようなタイミング、同じような形で投手陣が崩れてしまったことは悔やまれます。