2022年、カープは最後まで激しいCS争いを演じたものの結果は5位。 波に乗り切ることができず、苦しい時期が続いた今シーズンの戦いぶりを、OBの新井貴浩氏はどのように見ていたのだろうか?

 今季のカープについて、新井氏に見解を語ってもらった。
(※取材は監督就任前の10月上旬に実施)

インタビューに応じる新井貴浩氏。来季からカープ監督に就任する。

◆主力選手たちは奮闘も、寂しさを感じた機動力

─2022年シーズンのカープは、最後までCS争いを演じたものの5位という順位に終わりました。1年間の戦いぶりを見てどのように感じられましたか?

「開幕から6連勝スタートでしたし、序盤から非常に良い戦いを展開していました。もちろん選手みんな頑張っていましたが、個人名を挙げるならば上本(崇司)の存在感が目立っていましたね。出塁してよし、つないでよし、返してよしと、打撃面で三拍子揃った活躍を見せていたのが印象的でした」

─前半戦は上位をキープしていましたが、交流戦で失速してしまいました。

「毎年、交流戦はポイントと言われていますが、結果的にこの期間の勝敗が響いた形になってしまいました。なんとか5割に近いところで踏ん張れていたら良かったのですが……。後半戦、立て直す上で非常に苦しい展開だったと思います」

─後半戦は激しい3位争いとなりましたが、シーズン後半の戦いぶりをどのように見ておられましたか?

「やはり、良い投手に良い投球をされると、なかなか連打で得点を重ねることは難しいものです。ですので、打撃のみならず走塁面でも相手にプレッシャーをかけた中で攻撃を仕掛けていないと、なかなか得点力を上げることは難しくなります。そういう意味では、走塁面での攻撃が気にかかりました」

─走ることに対する意識ということでしょうか?

「足が速い、遅いではなく、チームとして走塁面の意識を徹底することが大切だと思います。私自身も評論家としても、昔からカープを応援してきたファン目線として考えても、機動力野球という部分を考えると少し寂しかったですね」

─攻撃面で言うと、鈴木誠也選手(現カブス)という打線の柱が抜けた中でスタートしました。

「そういう状況の中でもチーム打率はリーグトップと頑張ったと思います。主に4番を任されたマクブルームは、すごく真面目で勉強熱心な選手と聞いています。実際に練習する姿を見ても、日本をリスペクトしながらプレーしていると感じましたし、早い段階で日本の野球に適応していたと思います。適応するのに苦労した面もあったと思いますが、今季は立派な数字だと思います」

─投手陣についてですが、今季どう感じられましたか?

「1年間戦い抜くには、“勝つ形”を確立しなければ、厳しい戦いを強いられますし、安定した戦いを展開できません。先発陣がゲームをつくり、抑えの栗林(良吏)投手につなぐ形を模索したシーズンだったと感じます。3連覇時は勝利の方程式がありましたが、ここを固定できなかったのは苦しんだポイントだったと思います。しかし苦しい中でも矢崎(拓也)をはじめ収穫はあったと思いますね」

─3年間チームを率いた佐々岡真司監督が今季限りで退任されました。最後に、新井さんの思いを聞かせてください。

「監督に就任された初年度から世間は誰も経験したことがないコロナ禍という事態でしたし、チームは3連覇から過渡期を迎えていました。そんな中でチームを預かられて本当に大変な3年間だったと思います。心からお疲れ様でしたとお伝えしたいです」

新井貴浩
1977年1月30日生、広島県出身
広島工高-駒澤大-広島(1998年ドラフト6位)-阪神(2008-2014年)-広島(2015-2018年)
ドラフト下位入団ながらも強靭な肉体で猛練習を乗り越え、4年目の2002年には初の全試合出場を果たし、28本塁打を記録してレギュラー定着。2005年には初の3割、43本のアーチで本塁打王に輝いた。2007年オフにFAを行使して阪神移籍し、2011年には打点王を獲得。2014年オフに阪神を自由契約になると、広島に電撃復帰を果たす。復帰2年目の2016年に通算2000安打を達成するなど打線を牽引し、25年ぶりの優勝に大きく貢献。リーグ最年長でのMVPに輝いた。2017年以降は主に代打の切り札、精神的支柱としてチームを支え、3連覇に貢献。2018年限りで現役引退。その後はプロ野球解説者として活躍。2023年から広島一軍監督に就任する。

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