◆監督としてのラストゲーム

 優勝を逃した後もチームの雰囲気は落ちなかった。やはり少しでも上の順位で終わりたいというのがプロとしての性分であり、僕たちには地元のファンにマツダスタジアムでCSを見せたいという夢があった。

 それが叶えられなかったことは残念でしかないが、レギュラーシーズンを3位で終了したときも、まだ「CSを勝ち抜いて最後の最後に笑うぞ」「日本シリーズでマツダスタジアムに帰ってくるぞ」という気持ちしかチームには存在しなかった。

 そしてシーズンが終了してCSが始まる前の10月8日、僕は2014年シーズンをもって監督を退任することを発表した。退任に関しては早くから球団には伝えていたが、2位争いが佳境を迎えていたこともあって、なかなか選手たちに伝える機会がなかった。

 チームは一丸となって頑張っているのに、そのムードに水を差すようなことはできなかった。ただ、次期監督の人事などもあり、あまり発表を遅くすることはできない。ここからCSに入り仮に勝ち抜いたらますます発表するチャンスを失ってしまう―そういうさまざまな事情があって、この時期の発表ということに落ち着いた。

 もちろん本心では、CSも含めた全試合が終わるまで表に出したくはなかった。「俺は辞めるけど、おまえたちは頑張れよ」なんて無責任なことは言えないし、逆に、「俺は辞めるから、最後に勝たせてくれよ」と託すのもどこか違うように感じられた。

 自分の個人の進退を持ち出して、それでチームをどうこうしようとするのは僕の性格上どうしてもできないことだった。それでも球団運営ということを考えると仕方がない。退任を発表したことで、いよいよCSはカープの監督としてのラストゲームということになった。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。