「みなさんを喜ばせ、みなさんの心を真っ赤に燃えさせるようにしたいと思います」

 10月の監督就任会見で力強い言葉を発してから約2ヵ月が経過した。ドラフト、秋季キャンプを終え、新井貴浩監督への期待は日に日に高まるばかりだ。ここでは、監督としてのビジョンを語った独占インタビューをお送りする。

独占インタビューに応じる新井貴浩新監督

◆自分が監督になる姿は、全く想像もしていなかった

─今年まで4年間、プロ野球解説者として、活動を行ってこられました。改めて振り返ると、どんな4年間でしたか?

「まずは、今まで野球解説者、評論家をメインとして活動してきたのですが、それ以外の仕事もたくさんさせてもらってすごく楽しかったですし、勉強になったし、いろんな経験が積めた4年間だったと思います。今までは小さい頃から小学校、中学、高校、大学、プロ野球と、野球しかやってこなかったので、別の世界のお仕事をさせていただいて『あ、こういう世界の仕事もあるんだ』という見識と言いますか、そういうものが広がった4年間でしたね。また、外からカープのことを見てきましたけど、解説者・評論家ですので、フラットにチームも見ないといけません。ですが、どうしてもカープファン目線な自分もいましたね。もちろん解説で評論して見る視点と、もう1つの視点としてカープファンの見方があったと思いますね」

─解説する中での難しさなどはありましたか?

「思ったよりなかったですね。というのは、最初に解説者という仕事が始まったときに、自分の中で決めたことがありました。まずは現場の選手をリスペクトすること。それと、正直に分かりやすく、自分の言葉で伝えるということを大切にしていました。そこだけを自分で守っていれば、思ったより苦労はしなかったと思いました」

─客観的に野球を見ていて、新しい発見などはありましたか?

「野球に対する考え方というのは、そこまで変わっていないのですが、やはりプロ野球選手ってすごいと改めて思いましたね。よく自分もやってたなと思いましたね」

─引退後、ご家族との時間はいかがでしたか?

「それも楽しかったですね。自分が現役の頃はずっと外に出ていることが多かったので子どもと過ごす時間が限られていました。引退してからは子ども中心の生活にしてあげられる喜びというのはありましたね。今までできなかったことを、この4年間は凝縮していたと思います」

─この4年間、外からカープを見てこられましたが、引退されて4年間、Bクラスという結果です。この4年間のカープをどのようにご覧になられていましたか?

「佐々岡(真司)さんが監督になられたときは、チームもまさに過渡期を迎えていたので、3連覇からそこを引き受けられて、プラス、コロナ禍になって……本当に大変だったと思います。それも踏まえて、まだまだできると思いましたし、楽しみな選手が多いなと思っていましたね」

─解説者時代にご自身が監督になるという想像などはされていたのでしょうか?

「全くしてないですよ(苦笑)。もちろんファン目線的な感じで、ファンの方と同じように、もし自分が監督になったらとか、プロ野球の楽しみ方の1つとして考えたことはありますけど、実際になるとは全く思ってないですね(笑)。監督要請のお話しをいただいたときは指導者経験ゼロの状態からですし、びっくりしましたね」

─いずれは監督やコーチに……という気持ちはあったのでしょうか?

「いずれは……もなかったですね。監督だけでなく、コーチもそんなに簡単な気持ちで引き受けられるものじゃないと思うんですよね。その選手の野球人生を預かるわけですから、自分の掛ける言葉1つでプラスにもマイナスにもなります。1つのチームに選手は育成を含めてみると80人くらいいます。それは大変な仕事で、労力もそうですし、重い仕事だという感じですかね」

─会見のときにも質問がありましたが、球団から打診があり、決断までに時間は掛からなかったのですか?

「決断というか……そもそも、選択肢が自分にはないですから、言われた時点で『はい』しかないですよね。その場で、ちょっと考えて『大変なんで、ちょっと無理です』とは言えないですしね。この話をいただいた時点で、自分は『分かりました』しかなかったと思いますね。自分はカープ球団にはとても大きな恩があるので、もちろんそれが大きな決断材料です。自分は一度カープを離れているのに、『また戻ってこい』と言っていただいて、正直そんな選手はいないと思いますし、それプラス、3連覇も経験させてもらって、すごく大きな恩があるんです。その球団から『頼む』と頼まれて『いや、無理です!』とかそんなのは言えないです」

広島アスリートマガジン1月号は、新井新監督特集第3弾『新井貴浩監督の“全力”所信表明』!新監督を支える選手・コーチ陣インタビューも必見です。